「他人の評価するスキルは案外使えません」 養老先生が語る「人生に役立つスキル」とは
資格を取ってもスキルは上がらない
筋トレならばその理屈は理解されるのに、会社や組織でのことになると、自分に力がついていると受け止めない人が多い。むしろ割を食っている、損をしていると考える人のほうが多いようです。 なぜそういう考え方になるのかがわかりません。私は若い頃から、その種のことは修行だと思ってやっていました。自分のため、と言ってもいいでしょう。そう考えなければやっていられなかった、とも言えます。 いまは修行という言葉は使わずにスキルアップという言葉が好まれるようです。スキルアップのために、どこかのセミナーに行く、専門の教室に通う、という。そのように努力をして知識を得たり、資格を取ったりすることが悪いとは言いません。 しかしそれは他人が評価するスキルであって、本当の意味での「生きるスキル」ではないと思います。 自分に本当に力がついたということではないのです。 私は医師免許こそ持っていますが、医者として患者さんを診るスキルはほとんどゼロです。もう半世紀どころか60年も患者を診ていない、いわゆる「経験なき医師団」の一員です。ペーパードクターです。つまり資格という観点から言えば、医師免許という国家が認めるものを持っているけれども、実際に使えるスキルは持っていないことになります。 本当の力とは、日常の経験から身につくものではないでしょうか。もしかすると、その中には時間外労働も含まれるかもしれません。仕事によっては、土日であっても働かなければならない場合もあるでしょう。 近頃は、働き方改革などといってそういうものは「余分な仕事」として排除していく方向に進んでいます。その一方で、スキルを身につけましょうというのはおかしなことなのです。 もちろん、他人の仕事を請け負いすぎて参ってしまったり、休日もなく働いて身心を壊してしまったりするのは避けなくてはなりません。ブラック労働をお勧めしているわけではありません。 それでも多少の無理をすることにはそれなりの意味があります。さきほどのたとえでいえば、筋肉がつくのです。