ヤマザキマリ「イタリア人の義父が、友人に勧められ家庭菜園でケールを栽培。あまりの苦味に家族でもがき苦しみ、翌年は白菜に変更されていたが…」
レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロなど、世界的にも有名な芸術家を数多く生んでいるイタリア。美術館も多く、素敵な街並みに一度は訪れてみたいという方も多いことでしょう。そのようななか、17歳でイタリア・トスカーナ州にあるフィレンツェに留学し、「極貧の画学生時代に食べたピッツァの味が、今でも忘れられない」と語るのは、漫画家・文筆家・画家として活躍するヤマザキマリさん。マリさんいわく「そう簡単に欲しい野菜が育つとは限らない」そうで――。 【書影】ヤマザキマリ「味覚の自由」を追求する至極のエッセイ!『貧乏ピッツァ』 * * * * * * * ◆真夏の菜園 コロナ禍でイタリアに戻ることができなくなり、夏になると実家でさせられていたいくつかの仕事をしないで済んでいるので、ちょっとホッとしている。今でこそ小規模化しているが、かつて義父母が自給自足を目指して作った100坪はある巨大な家庭菜園で、我々家族は皆季節労働を課せられるのだった。 夫は自分の実家だし、マンマから甘やかされていることもあって、熱心に働かなくてもそれを苛(さいな)まれることもないのだが、どうにも義母に逆らえない私と息子は、毎夏この家を訪れる度に、日々の糧となる野菜のために雑草や虫の除去に勤しんだ。 義母の菜園には、トマトやサヤインゲン、ズッキーニにナスといった実用性の高い野菜が植えられていたが、義父の菜園では、あの青汁の原料となるケールとヴェネト州のアルパゴという地域特産の「マメ」と呼ばれている珍しいインゲンが栽培されていた。 ケールは、農家の友人に「体に良いから」と勧められて植えたそうだが、青々と真緑の巨大な葉を発達させたこの植物を、一度実験的に刈って湯がいて食べてみたところ、意表を突かれる苦味と口の中を満たしたえぐみに、皆で苦しみもがいた。まるで服毒したかのような有様だった。
◆「こんなの飲んでたら芋虫になっちゃう」 「いったいなんてものを栽培してくれたのよ、しかもあんなたくさん!!」と、義母は口の中のものを吐き出すや否や、窓の外の畑に生い茂るケールを指差して夫に噛み付いた。 「でも、体に良いんだし、これくらいの苦味は我慢するべきなんだ」と義父は、眉をひきつらせると、はっきりこう言った。 「君たちは食べなくて良い。これは私が食べたくて植えたものだ。1日3食だって食ってやる」 ケールの強烈な苦味パンチにやられたショックで、皆その現実味の無い言葉に対して何の反応もできなかった。不味さと悔しさと意固地で、顔がどんどん赤らんでいく義父を少し気の毒に思った私は、日本ではこれを粉末にして水に溶かして飲む人もいる、と弱々しく告げてみた。 すると、紅潮した義父の表情はふんわりと緩み、瓶底メガネのレンズの向こうで希望に満ちた瞳がきらきらと輝き出した。 義父は、早速刈り取った残りのケールを包丁で細かく切り刻み、水と一緒にミキサーに掛けた。その真緑色の液体には、彼の誇りと健康が懸かっていた。ところがコップに注いだその“生青汁”を一口飲んだあと、義父の頭はしばらく俯いたまま固まってしまった。 考えてみたら、湯がいても苦かったその葉っぱを液状にしたところで、味や苦味が変わるわけではない。義母がそらみろ、と言わんばかりの顔でミキサーの中のケールの匂いを嗅ぎ、「うはあ、こんなの飲んでたら芋虫になっちゃうわよ」と大声で皮肉を言い放った。 結局そこで栽培されていたケールのうち半分は、刈り取られることなくその場に放置され、残り半分は義父が家に訪ねてくる人に「絶対体に良いから、なんとかして食べてくれ」と押し付けていた。 その現場を目撃した義母から、「自分一人で食べると言ってたのはどこの誰だったか」と突っ込まれて大喧嘩になり、その後ケールという野菜がそこで栽培されることは二度となかった。
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