阪神監督就任の9年前「高知に行くことにしました」藤川球児のサプライズ独立L入団は「名解説者の片鱗が見えていた」取材した記者が感じたワケ
トミー・ジョン手術明け…独立L初の大物入団
しかし、それはある意味で無理もないことではあった。 藤川にとってはこの夏は、野球人生の折り返し点となる重要な時期だった。トミー・ジョン手術を経て本当に復活できるのかというプロセスの中で、独立リーグで現時点でのポテンシャルを確かめたかったのだろう。 この時点で四国アイランドリーグplusは11年目を迎えていたが、これまで藤川のような大物が入団したことはなかった。球団にしてもどのように接してよいか戸惑ったのは無理からぬことではあった。なお高知にとっては約2年後、MLBのスター選手であるマニー・ラミレスが入団するが、藤川球児に対してアテンドした経験が、役に立ったとのことだった。 藤川球児の初登板は6月20日、高知市野球場で行われた香川オリーブガイナーズ、徳島インディゴソックス連合軍とのオープン戦だった。高知球団の主催試合としては、新記録の2865人が詰めかけた。 試合前、アップを行った藤川は、ブルペンで投球練習を始めた。ブルペンの周囲には高知の選手たちが集まる。カメラの砲列も一斉に藤川の動きを追いかけた。藤川は捕手や投手たちにも気さくに声をかけた。
試合後の藤川コメントは、とても明晰だった
試合が始まった。先発はもちろん藤川。翌7月には35歳になる藤川だったが、阪神時代と変わらない伸びのある速球が捕手のミットに吸い込まれていった。 先頭打者の打球は、三塁を守る17歳のブルキナファソ人の練習生サンフォ・ラシィナの前に飛んだ。ラシィナは打球を捕ることができず内野安打にして球場中が凍り付いた。 しかし藤川は、にこやかに投球を続けていたのが印象に残っている。 この試合、藤川は4回を投げて1失点で降板した。 余談ながら、ラシィナはこの試合に出た選手の中で、唯一、今も現役でプレーしている。今年は高知ファイティングドッグスのキャプテンを務めた。日本語もペラペラである。 試合後、藤川はこのように語った。 「いつもそうですが、僕は応援してもらえる環境で野球ができています。自分は支えてもらっています。それが高知であろうが、甲子園であろうが、アメリカではほとんどなかったと思いますが(笑)」 「(スカウトが来ていたが、アピールする気持ちは? との問いに)ないですね、僕は野球選手なんで、グラウンドで精いっぱいやっているだけです。僕はどんな試合でも勝つために投げているので、評価を貰うというのは違います」 こんなに明晰に、自分の考えを述べることができる選手がいるとは――と筆者は心底、感動したのを覚えている。
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