阪神監督就任の9年前「高知に行くことにしました」藤川球児のサプライズ独立L入団は「名解説者の片鱗が見えていた」取材した記者が感じたワケ
2012年オフに海外FA権を行使してMLBに挑戦していた藤川球児が、テキサス・レンジャーズをDFA(実質的な戦力外)になったのは、今から9年半前、2015年5月のことだった。MLB在籍中にトミー・ジョン手術を受けた藤川は十分に力を発揮することができなかったが、恐らくは古巣・阪神タイガースに復帰するものと誰もが思っていたのだが――。 【レア写真】「わ、わかっ!」藤川球児17歳や岡田彰布15歳は阪神入団前に甲子園でプレーしてた…ガリガリな大谷やギータ、ヤンチャそうな学ランの張本…名選手160人超の球児時代を見る
高知の入団会見で見せていた「名解説者の片鱗」
6月、藤川は独立リーグ四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスに入団すると発表した。高知は藤川の故郷であり、藤川の兄は高知球団のGMを務めていたこともあった。しかしNPBのスター選手であり、メジャーリーガーだった選手が、いきなり独立リーグとは、野球界は色めき立った。 6月8日、高知市内のホテルでの記者会見には、キー局のテレビカメラなど多くのメディアが詰めかけた。四国アイランドリーグPlusの側も、球団トップだけでなく、リーグトップの鍵山誠代表も出席していた。 「いろいろな思いがあって、この日を迎えることができたのは光栄に思います。これからやらなきゃいけないことは重大で、責任のあることなので、日々のトレーニングにはものすごく力が入っています。僕の中では、新しい人生のスタートとしては、最高の決断ができたんじゃないかと思っています」 藤川はそう切り出した。そのあとに、「先ほど、僕の身長を182cmと紹介いただきましたが、正しくは184cmあります」と付け加え、笑いをとった。 今にして思えば、藤川のトークは現役の野球選手とは思えないくらい明晰で、気が利いていた。「名解説者」としての片鱗は、この時に現れていたのだ。 このあと、藤川は高知球団と登板する1試合ごとに契約する形態であること。報酬は受け取らないこと。そして藤川が出る試合の入場料収入の1割は児童養護施設などに寄付することが紹介された。
阪神ではなく高知…生まれ故郷であるから
記者団からの「なぜ、タイガースではなくファイティングドッグスを選んだのか?」との問いに対して、藤川はこう答えた。 「純粋に、僕と妻が、ともに高知県出身だからです。子どもたちは、今アメリカにいますが、夏休みですから少しでも高知の良さ、自分たちが育った土地の良さをしってほしかった。キャンプとかバーベキューとかを、本当に一つの家族として満喫したいなと思っていました。同時に、自分には野球選手という顔もあるので、高知の子供たちが(野球をする)きっかけになるかもしれないと、高知に行くことにしました」 藤川球児は、試合出場時だけチームに合流する形だった。 当時の高知ファイティングドッグスの監督は、藤川にとって阪神の大先輩で、同じ高知出身の弘田澄男だった。弘田監督は「藤川君となかなか連絡が取れない」と言っていた。
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