爆弾小僧「ダイナマイト・キッド」の素顔…引退した初代タイガーマスクとの知られざる「最後の一戦」
初代タイガーマスクのデビュー戦で
年の瀬になると、様々な慈善運動が活発化する。なかでもプロレス関連でいうと「タイガーマスク運動」が記憶に残る。児童養護施設などの玄関前に、寄付金やランドセルなどの贈り物を置いて行く。その差出人の名が、「タイガーマスク」や、その正体である「伊達直人」となっていた、あの活動である。 【写真】ダイナマイト・キッドの永遠のライバルにして親友…初代タイガーマスクの華麗なるファイト
2010年末から全国で頻発したこの行為だが、やがて匿名の差出人の名は「タイガーマスク」に限らず、「仮面ライダー」や「星飛雄馬」など、様々なヒーローの名になっていった。この活動が最初に発覚してから、約3週間後の2011年1月13日の朝、徳島県の児童養護施設「阿波国慈恵院」の玄関前に置かれた金銭の入った封筒と菓子の差出人の名には、こうあった、 「ダイナマイト・キッド」 言わずと知れた、初代タイガーマスクの最大のライバルだ。「タイガーがやるなら、俺だって負けてられん!」という差出人の創意と熱意だったのか。それほど、2人の残した名勝負は、今もってプロレス史上において、輝きを失っていない。 ダイナマイト・キッドは2018年12月5日、60歳の誕生日に逝去した。7回忌を鑑み、そのライフ・ストーリーを紹介しつつ、初代タイガー引退の3ヵ月後、極秘に行われていた最後の一騎打ちについて明らかにしたい。 「キッドのことを嫌いな日本のプロレスファンて、いないと思うんだよな」 馴染みの編集者がよく口にしていた言葉である。まさに日本人好みの全力ファイトが身上だった。1979年7月に初来日した国際プロレスでは、ブロンドをなびかせる美少年の容貌だったが、翌年の新日本プロレスへの参戦からは短髪となり、スキンヘッドへ。「戦いのために無駄なものは、全て削ぎ落としたのであります!」という、当時の古舘伊知郎アナの言い様が真っ当に思えるほど、一切の妥協なきファイトスタイルで、会場を沸かせた。 ロープに飛ばした相手を中央で待たず、自分から飛び込むように放つラリアット、寝かせた相手より、明らかに遠いコーナー最上段から放つダイビング・ヘッドバット、あのジャイアント馬場をも投げた代名詞と言ってもいい超高速ブレーンバスター……。質実剛健な戦いぶりに、リングネームの直訳である“爆弾小僧”の他、“剃刀ファイター”の異名も頂戴していた。まさに、「全身これ、鋭利な刃物」(古舘伊知郎アナ)を思わせるファイターだったのだ。実際、自身の結婚式で、日本の関係者から贈られたプレゼントの一つに、日本刀があったとか。 新日本プロレス時代は藤波辰爾との抗争も知られているが、やはり白眉は、初代タイガーマスクのデビュー戦相手を務めたことだろう(1981年4月23日。蔵前国技館)。この時、あからさまに顔のサイズよりキツめに見える急造のマスク姿で登場したタイガー。キッドが試合前、さりげなく声をかけた事実が、その自伝で明かされている。 〈「どうしたんだよ?」と。するとヤツは、「マスクが……」と聞き取れない小声でモグモグ言うと、頭を下げてしまった。だから、息をひそめて「わかってる。最悪だな」(中略)「もうガタガタ言うな。とにかく試合を続けるぞ」〉(『PURE DYNAMITE―ダイナマイト・キッド自伝』より) 試合は“伝説の名勝負”となった。タイガーの威嚇するソバットに驚いてのけぞったり、反撃でエルボーパットを打ち込むキッドの所作が、それまでより見やすく、大きめに見えるのは、筆者の思い過ごしだろうか。なお、この時、タイガーの相手にキッドを推薦したのがアントニオ猪木だったのは知られたところだ。 また試合後、控室でタイガーに思いきり「あ、佐山さん、お疲れさまです」と呼び掛けてしまった前田日明だったが(※タイガーは当時、正体不明とされていた)、後進たちにはこう語っている。「凄いなあ。あれだけの試合は、相手がキッドだから出来たんやで」。その際の後輩の1人だった高田延彦が、「大好きで、もっとも闘いたいと願っていた」相手もダイナマイト・キッドだった。高田は1984年6月に、新日本プロレスから新団体(第一次)UWFに移籍するが、その際、一番の心残りとして、キッドとの勝負が実現しなかったことを挙げている。実は同年の7月に、キッドとタイトルマッチが決定していたのだ。 初代タイガーマスクとダイナマイト・キッドは、その後も極上の名勝負を展開し続けた。その評価は、1982年1月28日、日本で3度目の対決(タイガーの勝利)を観たWWF(現WWE)の首脳が、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン(MSG)での2人のシングル戦を即決したことを語れば十分だろう。試合は同年の8月30日におこなわれ(タイガーの勝利)、タイガーの華麗な空中殺法に観客は度肝を抜かれ、これまた現地では伝説化している。