写真で振り返る戦前の北方領土 国後から本島へ…小舟の脱出風景残っていた
終戦から71年経過しましたが、いまだに解決していないのが、不法占拠されたままとなっている北方領土の問題―。12月15日にはプーチン大統領が来日し、山口県長門市で首脳会談が行われます。終戦直後の1945(昭和20)年8月28日から同9月5日にかけて、旧ソ連軍の侵攻により、北方4島が占領されました。北方領土で暮らしていた人たちは、その後自力脱出したり、残された人たちは、旧ソ連兵とその家族らとの混住生活を強いられた後、1947~48(昭和22~23)年にかけて、強制的に島を追われ、樺太を経由して日本本土へ送還させられます。 島で撮影された写真の大半は旧ソ連に没収されました。しかし、元島民でつくる千島歯舞諸島居住者連盟(千島連盟)は自力で脱出できた島民が命がけで持ち出した写真を中心に約560点を収集。古くなり、劣化したものも多くなってきたことから、平成24年度デジタル化して保存する作業を行いました。千島連盟は「集まった写真は人物を写したものが多いですが、背景などから、島の当時の様子を知る大切な資料と考え、大切に保存しています」と話します。人々の表情や景色、風習…。一枚一枚の写真に、元島民が生き生きと暮らしていた証があります。 今回、千島連盟から提供を受けたそれらの貴重な写真の中から、国後島の風景を紹介します。
国後島は、北海道本島野付半島から16キロ離れたところにあります。面積は沖縄本島より広い1489平方キロメートル、全長122キロの日本で2番目に大きな島で、知床半島からは、国後島を横たわるような形でその雄大な姿を望むことができます。 収集された写真には、北海道本島を目指し、島を脱出した小船を撮影した1枚が残っていました。また、昭和を代表する名女優原節子が出演、国後島の缶詰工場でロケをした映画「生命の冠」出演者たちの記念写真もあります。