佐世保小6殺害事件から20年…家族のケアを担当した新聞記者が回顧
“(事件発生後、中学校に)迎えに来た御手洗さんは顔色(かおいろ)を失い、別人のようだった。「父まで失うのではないか」。急に怖くなり、安心させるために父の前では笑顔でいようと決めた。その後は、できるだけ気丈に振る舞うように努めた。妹の同級生は心のケアが必要だとしてカウンセリングを受けるよう案内されたが、実の兄である自分には、そうした声はかからなかった。「周りの大人に腫れ物扱いされていたように感じた」” ――その「大人」の一人が、私でした。実は昨日(6月20日)、当時のことを妻に聞く中で「あの日、私が佐世保に向かおうとしたとき、子どもたちも『一緒に行く』って聞かなかった。『あっちは大変だから残って』って言ったら、『〇〇(次兄)はどうするんだよ!』って。『大人ばっかりじゃないか』って。それで連れて行ったの」と。初めて聞きました。子どもたちが気付いていたことに、私は気づけなかった。いつか会って、ちゃんと謝らなければいけないと、心から思っています。 以上、あくまで私から見えていた事件当時をお話ししました。御手洗さんとお兄ちゃんの今の思いは、ぜひ毎日新聞デジタルでお読みください。ようやく最近、怜美ちゃんの遺品整理に手を付けられるようになった御手洗さんは、そのインタビューの中で「事件と自分との終着点は今も見えないが、息子2人の家族が穏やかに生活できれば、俺は幸せだ」と話しています。そう言えるための20年――だったのかもしれません。 ■◎潟永秀一郎(がたなが・しゅういちろう) 1961年生まれ。85年に毎日新聞入社。北九州や福岡など福岡県内での記者経験が長く、生活報道部(東京)、長崎支局長などを経てサンデー毎日編集長。取材は事件や災害から、暮らし、芸能など幅広く、テレビ出演多数。毎日新聞の公式キャラクター「なるほドリ」の命名者。
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