佐世保小6殺害事件から20年…家族のケアを担当した新聞記者が回顧
■役割は「遺族のケア」取材・報道とは一線を引く ここでいくつか触れておかなければならないことがあります。一つは、取材と遺族のケアと、毎日新聞は厳密に二つの役割を分けたということです。今お話しした通り、私は遺体を引き取ってさまざまな説明を受けましたが、そのことも含めて同僚記者に一切、遺族の代理として聞いたことは話しませんでした。 この事件報道が終わるまでずっと。御手洗さんも、高原さんも。きれいごとに聞こえるかもしれませんが、それはメディアとしてフェアではないという考えを、会社も御手洗さんも共有していました。おかげで、私と高原さんは御手洗さんらのケアと、さまざまな手続きの代行に専念できました。 ■犯罪被害者支援や「手記代読」のテストケースにも もう一つは長崎県警の対応です。県警はこの5年前に「被害者対策推進要綱」を制定して被害者や遺族の支援に取り組みはじめ、ちょうどこの年の8月に「犯罪被害者支援室」を立ち上げる直前でした。これはのちに県警幹部に聞くのですが、まさにそのテストケースとなったそうで、遺族が何を望み、警察に何ができるのか、親身に相談に乗ってもらえました。また「この経験が、その後の被害者ケアに役立った」と言われたことが、かすかな光になったのを覚えています。 最後の一つは、取材する側だった私たちが、初めて被害者の立場になったということです。実は事件当日、御手洗さんがどうしても聞き入れてくれなかったことが、一つだけありました。記者会見です。「今は無理です」と必死に止めましたが、御手洗さんは「自分も取材をしてきた人間。被害者側になったからといって、逃げるわけにはいかない」と、聞きませんでした。そう話せば、記者の私たちが言い返せないと思ったのでしょう。 ただ今月1日のインタビュー記事で、御手洗さんは「(当時中学生と大学生だった)2人の息子に取材が及ぶのを避けたかった」と語っていて、こちらの思いが強かったでしょう。また、加害少女の供述などが明らかになった後、再度の会見要請はさすがに精神的に厳しいという医師の助言も受けて弁護士が止め、手記を書いて弁護士が代読しました。このやり方はその後、さまざまな事件で今も踏襲されています。