阪神D4位・町田隼乙「よく食べて、よく寝る」 186センチの体格育んだ幼少期
阪神の新入団選手にスポットをあてた連載「なにわ虎男子」はドラフト4位・町田隼乙捕手(21)=BCL埼玉=が登場。第1回は186センチの体格を築いた土台について、母・秀子さん(54)が幼少期を振り返った。(随時掲載) ビッグなキャッチャーが虎にやってきた。目を引く体格は186センチ、88キロ。町田が自身のアピールポイントを語った。 「大きいキャッチャーというところ。長身というところは一つの持ち味なので生かしていきたいです」 産まれたときは2800グラムとやや小柄。姉が2人おり、母・秀子さんは「末っ子で長男気質。『見て学ぶ』というか、『こうやったら怒られない』というのをよく分かっていた子でした」と振り返る。 運動神経は乳児のときから抜群。1歳になる頃には家中を歩き、2歳になると秀子さんが追いつけないほどの脚力で走り回った。町田が「体が大きい中で足が速かった。動きも俊敏です」と語る長所は生まれたときから備わっていたものだ。 そして、両親ともに野球観戦が趣味とあれば、物心ついたころからプラスチックのバットを振るのは必然。3歳になると草ソフトボールをしていた父・光信さん(50)とのキャッチボールが日課になった。 そんな町田家の〝育成方針〟は「よく食べて、よく寝る」。母の作るカレーが大好物だった隼乙少年は幼稚園の頃から、他の園児よりも一回りも二回りも大きなお弁当をたいらげ、夕食も大皿が当たり前で、とにかく寝た。 小学校3年生から地元の少年野球チーム「秦野ドリームズ」で本格的に野球を始めると、投手や遊撃手をへて、5年生から捕手を任された。他の選手よりも体が大きいことが抜擢(ばってき)の理由だった。このときも学校が終われば練習。家に帰るとご飯を食べてすぐに寝る。〝よく食べて、よく寝る〟を実践し続けた隼乙少年はすくすくと成長し、中学3年間で身長は23センチも伸びた。 光明相模原高入学時点で身長は180センチ。大型捕手としてプロに注目されるまでに成長した町田だったが、高校3年で人生の岐路に直面することになる。 ■町田 隼乙(まちだ・はやと)
2003(平成15)年4月3日生まれ、21歳。神奈川県出身。大根小3年時に秦野ドリームスで野球を始め、大根中時代は平塚ボーイズに所属。光明学園相模原高では甲子園出場なし。22年にBCL・埼玉に入団して1年目から正捕手を務め、23、24年はベストナインを受賞。23年から2年連続で阪神の春季2軍キャンプにブルペン捕手として参加。25年ドラフト4位で阪神入団。契約金4000万円、年俸750万円。右投げ右打ち。186センチ、88キロ。背番号「43」