<地下鉄サリン20年>オウムの本質はサリン事件の頃と「変わらない」
1995年3月20日。月曜朝の地下鉄は、いつものように通勤客らを東京都心へと運んでいました。午前8時過ぎ、霞ヶ関駅を通る千代田線、丸ノ内線、日比谷線の3路線5車両の車内で猛毒サリンがまかれました。地下鉄サリン事件です。オウム真理教による犯行でした。霞ヶ関や築地駅はサリンを吸ってしまった乗客らでまさに阿鼻叫喚。たくさんの方が死傷し、いまだに後遺症に悩む被害者も数多くいます。 【写真】地下鉄サリン事件から20年 テロ組織へ突き進んだオウム真理教 地下鉄サリン事件は、1994年6月の松本サリン事件と合わせて、世界初の化学兵器テロとされます。しかし事件から20年が経過し、オウムが起こした一連の事件をよく知らない世代も出てきました。近年、再び信者が増加しているとも伝えられます。現在のオウム真理教はどういう状況にあるのか。元公安調査庁東北公安調査局長の安部川元伸氏に寄稿してもらいました。(敬称略)
「衆生救済」という美名の下に
2011年12月31日の深夜、17年間にわたって逃亡生活を続けていた平田信(被告)が丸の内警察署に出頭しました。同被告は、1995年の目黒公証役場事務長、假谷清志氏の拉致・殺害に関与した容疑などで警察から特別指名手配されていました。 その平田被告が別の容疑者の裁判で証言に立った際、「オウムでは、グル(麻原)の意志を100 %実践するロボットにならなければならず、それで私たちは、麻原の指示はやらざるを得ない状況でした」という内容の証言をしています。数々のオウム犯罪に関わった多くの被告は、裁判で平田被告と同様の証言を行っていますが、これは、単に罪を逃れるための詭弁というよりも、オウム真理教という異常な集団の中で、ほとんどの信者が同様の心理状態にあったことを物語っていると思われます。それだけ、麻原のマインドコントロールが強力で、尊師の命令は絶対という、麻原個人または組織に対する恐怖が自制心という防波堤を大きく越えていたということではないでしょうか。 それが、オウム真理教の宗教教義であり、「衆生救済」という美名の下に、反対する者、気に食わない者を次々に殺害し、挙げ句に日本政府の転覆にまで妄想を膨らませることになったわけです。仏教教義を歪曲し、全く自分の都合のために信徒を使い、教団を誤った方向に導いていった責任は甚大であり、何としても償うべきだと思います。