直木賞作家・佐藤正午さん「事実は小説より奇なり、ではなく事実に書く余地があるからこそ小説が生まれる」
長崎県佐世保市在住の直木賞作家、佐藤正午さん(69)が今年で作家生活40年を迎え、デビュー当時からのエッセーを年代順に収めた文庫本『エッセイ・コレクション』(岩波書店、全3冊)が刊行された。各エッセーを繙きながら、時代が移り変わる中でも、変わらずに同市で執筆を続けてきた作家に創作への思いを聞いた。 【写真】人気ミステリー作家・京極夏彦さんや竹本健治さんらが明かした創作の原点
大学中退後、同市へ戻り働いたが長続きしない。そんな中で書いた長編小説が『永遠の1/2』だった。執筆を家族にも打ち明けず、夜中に一人で原稿の推敲をする日々。〈僕以外の誰かに読んでもらうあてすらなかった。(中略)あったのは若さと、理由もなく大いにあがる士気、言い換えればガッツだけだ〉(「長く不利な戦い」1999年)
『永遠の1/2』を含む初期の多くの作品で、佐世保をほうふつとさせる名のない街が舞台となる。エッセーには、〈いつか佐世保の小説が書けるかもしれない〉(「この街の小説」96年)とつづっていたが、気づけばまだ実現していない。そもそも舞台が佐世保であってもなくても、同規模の地方都市は全国にありふれており、名のない街は普遍的な情景として読者の想像にゆだねられる。そして作品での佐世保のような舞台の登場頻度は次第に減っていった。その変化について「どこかで、このままではいけないという思いがあったのかもしれない」と語る。
90年代後半は、本が売れないことで「もうやめようか」と悩むこともあった。〈書いても書いても無駄かもしれない〉(「エアロスミス効果」2004年)。タイムリープを繰り返す男性を描いた『Y』を執筆していた時、自身も作中人物たちと同じように中年にさしかかっていた。弱気になりながらも、毎朝、エアロスミスのCDを聴き〈この退屈な現実からいま書いている小説の世界へ、境界線をひとまたぎに跳び越えて〉書き続けることができた。その体験は、『Y』の登場人物の体験として描かれる。この頃から、大勢の人に読まれることやエンタメ小説を強く意識し始めたという。