アラン・ドロン、88歳で生涯を閉じる。伝記と写真で振り返る恋と友情、数々の名シーン
『若者のすべて』
ルキノ・ヴィスコンティ監督の1960年映画『若者のすべて』は、同年の『太陽がいっぱい』と共に、アラン・ドロンが主演男優としての地位を確立するターニングポイントとなった。『太陽がいっぱい』で世界的巨匠のルネ・クレマン監督と仕事をした後、精神的な父とも言えるルキノ・ヴィスコンティ監督の下でアラン・ドロンは無邪気さと犠牲的精神を持つ複雑な人物を演じきり、俳優として成長する。二年後、ヴィスコンティ監督は名作『山猫』で全く異なる役柄に彼を起用する。イタリア統一戦争のさなか、ガリバルディの赤シャツ隊に参加する若い革命派貴族を演じたアラン・ドロンは「何も変わらないために何もかもが変わらなくてはならない」という名セリフを吐く。ヴィスコンティ監督はアラン・ドロンがロミー・シュナイダーと共演した初舞台『あわれ彼女は娼婦』の演出も手がけており、ふたりのコラボレーションからは多くのものが生まれた」
ナタリー・ドロン
「アラン・ドロンがナタリーと知り合ったのは1963年、ナイトクラブで共通の友人の紹介だった。ふたりにはある種の身体的対称性があり、性格の強さやエネルギッシュな点も共通している。のちに作家のパスカル・ジャルダンが『もう一人の自分を彼は見つけたようだ』と書いたほどだ。ふたりが出会ったとき、ナタリーは女優に興味がなかった。だがジャン=ピエール・メルヴィルから『サムライ』に出演しないかと言われたのがきっかけとなった......。ふたりの結婚生活は5年間つづき、離婚後も息子のアンソニーのこともあり、良好な関係を続けた。アラン・ドロンは女たらしで浮気性とよく言われるが、関わった女性に対して誠意を尽くすことは語られない」
ミレイユ・ダルク
「ふたりは1968年から1983年まで共に暮らし、『ジェフ』や『チェイサー』等で共演した。舞台での共演もある。ドラマチックな役を演じたいと願いながらもそのような役のオファーがなかったミレイユ・ダルクのためにアラン・ドロンは『愛人関係』を製作し、資金調達のために自分も引き立て役で出演した。『マディソン群の橋』の舞台化作品でも共演している。ミレイユ・ダルクによれば、愛しているというセリフは、実生活でもつぶやきあっていたからこそ、なおいっそう素晴らしく思えたそうだ。ふたりは別れてからも仲良しだった」 「Alain Delon, amours et mémoires」 ●著者 Denitza Bantcheva & Liliana Rosca(デニツァ・バンチェヴァ&リリアナ・ロスカ) ●出版社 Éd. de La Martinière(ラ・マルティニエール出版)
text: Marilyne Letertre (madame.lefigaro.fr)