知るほどに深く面白い! “大人の遊び”「香道」の世界とは?
混沌とした時代の闇のような部分を最高の香りで吹き飛ばしたい
田中 ところで香道の家元の仕事のひとつが香木を鑑定(極め)し、銘(名前)を付けることだそうで、これが大変な作業のようですね。 蜂谷 はい。本来香木の価値基準を決められるのは現代では志野流の家元だけ、地球上にたった一人しかいないので責任があります。通常、香木の鑑定には1年以上かかります。1回香りを聞いて、これは伽羅(きゃら)だな、味は甘くて位は中の上だな、などと言えるものではない。そもそも私も含め、たかだか数十年しか生きていない未熟な人間が、長い年月をかけてつくられた自然の叡智の結晶でもある沈香に対して、評価するなんてことがおこがましいことなのです。 石井 なるほど。 蜂谷 それでも、少しでも精神的に成熟し、魂の向上を目指し、彼らと向き合って会話をします。対峙する時、春なのか秋なのか、体調の変化もあるでしょう。何度も何度も香木と向き合って、心で会話して、1年くらい経った頃に、ようやくあなたが誰なのかと言えるようになってくるものです。 それから歌をつけると、もうその香木は家族や恋人のようになります。同じものはふたつとなく、後から作ることもできないので、継承した沈香も絶対に使い切ってはいけません。初代が所持していた沈香たちは10代先、20代先に残していきます。 田中 例えば蘭奢待(らんじゃたい)という天下第一の名香と謳われる香木があります。東大寺正倉院に収蔵されていて、織田信長が切り取ったとか、明治天皇が香りを聞かれたという記録も残っていますが、これなど決して使い切るわけにはいきませんからね。 石井 そんな伝説の香木も存在するんですね!
蜂谷 蘭奢待を聞くための作法も志野流には伝わっています。550年前に初代が選定した最高の香木コレクションも命を賭して守り抜く。それが家業なのです。誰に褒められることでもありませんし、そういう家の長男に生まれた宿命だと思っています。 ここまで香道を継承してきたわけですが、時代背景によって大変なことはたくさんありました。江戸時代には鎖国があったので、香木を鑑定するため十一代目式部豊充が出島に出向いています。当時は全国各地で香道が広まり江戸城の大奥の女中たちも志野流香道を嗜みました。 幕末の蛤御門の変では家屋が焼失、続いて明治維新に西洋文化を迎え、香道・茶道・華道といった日本の芸道がすべて衰退してしまった。 二度の世界大戦から戦後レジームのなか、志野流は160年、苦難の時代がまだ続いています。もし途中で誰かが文化継承を諦め、転職でもしていたら歴史から香道は消えていたでしょう。そこに私は生まれてきた。歴代家元20人の思いを責任をもって受け継ぐ。年々、その思いが強く大きくなってきています。 田中 お家元継承は近くに迫っているのですね。若宗匠が次のお家元になられたら、何をするか、もうすでに考えていることはあるんですか。 蜂谷 長らく続いてきた物質、金融社会、IT革命による情報化社会、幸せを求めてきたはずなのに、時代は混沌としていくばかりです。今、地球を覆ってる闇を、最高の香りで吹き飛ばしてやろうというイメージは持っています。一生かけて、この地球を香木の香りでラッピングして、誰もが笑顔になれるように。 石井 スケールが違いますね。凄い! 蜂谷 野球やサッカーの選手としてのピークは人生の早い時点でやってきますが、香道の家元が一番輝く時は、72、73歳と勝手に思っています。だからまだ私のピークは25年後ですね。 田中 伝統文化の世界は50、60はハナタレ小僧、勝負は70代からですからね(笑)。蜂谷さんが70代になった時、何をしてくれるのか、きっと面白いことになっているだろうなと思っています。 蜂谷 引き続き、経験を積んでいきます。芸道に近道はないし、飛び級もありません。父はもう84年もこの道を歩いてきて、今の景色を一人楽しんでいるでしょう。私はまだ山の中腹にも到達できていませんが、これから50、60、70歳の時にどんな景色が見えるのか、今から楽しみです。 石井 ともに長く見届けさせていただきます! ※後編に続きます。後編では編集長が実際に香木の香りを聞く聞香会に参加します。