熊本を襲った大地震、53歳で負った大ケガ 地元バンク再開直前に強制引退迎えた元競輪選手が貫いたポリシー
53歳で落車で大ケガ 引退よぎる
2023年2月の西武園競輪場。礒田さんは落車し、肋骨や鎖骨など10か所の骨折に肺気胸という大ケガを負ってしまった。 「本当に一瞬のことなんですけど、転んでからは息が入っていかなかったんです。肺が破れて縮んで、呼吸ができない。このまま気を失ったら死んでしまうんじゃないかと…。若いうちは別だと思うんですが、50代になってからはケガが一番自分をダメにする。元の身体に戻すことはできない。正直復帰は無理だと思いました」 ケガの直前に礒田さんは父を亡くしていた。競輪選手になる夢を、息子の礒田さんに託した父だ。 「親父も亡くなったことだし、ここで区切りをつけたほうがいいのかなと…。家族にも相談して、みんな引退に賛成していました」 落車したレースを最後に引退も考えた。だが最終的には『このまま終わるのは悔しい』と、6月に満身創痍のまま復帰。熊本にはまだバンクがなかったため、街道練習やジムのプールで心肺機能を上げるトレーニングを積んだ。復帰に際しては一度は引退に賛成した家族を再び説得したという。 「本当にごめん、最後まで走らせてくれと。悔いなく終わりたいという自分の身勝手ですから。妻と3人の娘は『自分でそう決めたなら』と言ってくれました。ならば最後まで全力で走り切ろう、と。私のポリシーは絶対にゴールまで諦めないこと。どんなに道中で離れても、いい着が見込めなくても、ゴール線では必ずハンドルを投げる。それを競輪人生でも、ね」 こうして礒田さんは競輪選手としてのポリシーを貫き、家族はそれを見守るという決断に至った。(後編へつづく)