熊本を襲った大地震、53歳で負った大ケガ 地元バンク再開直前に強制引退迎えた元競輪選手が貫いたポリシー
熊本を襲った大地震
2016年4月、熊本を悲劇が襲う。4月14日と16日に最大震度7の地震、さらに5弱~6強の地震が立て続けに起こった。 「あの経験だけは… 絶対に忘れない、消し去りたい部分もありますが、忘れてはいけないと思うんです」 そう話すと礒田さんはスマートフォンに保存された1枚の写真を見せてくれた。熊本競輪場のバンク内に、崩落したメインスタンドの窓ガラスの破片が散らばっている。これが熊本競輪場と礒田さんの最初の別れとなった。 「私の場合は住まいが熊本市内から離れていたので、家に大きな影響はありませんでした。でも市内に住んでいる方々は大変で、それを思うと…。バンクもひび割れて、練習場所も失って」
被災した熊本競輪場は本場開催が中止され、熊本の選手は「ホームバンク」を失った。しかし地震から19日後、中川誠一郎がGI日本選手権を優勝し、熊本にタイトルを持ち帰った。 「うん、あれは感動しました。単騎でしたからね。あの状況のなか、誠一郎は自分の持てる力をすべて発揮して… すごく嬉しい気持ちと同時に、背中を押してもらった。『自分たちも頑張らないかん』って、たぶんみんなが思ったんじゃないかな」 礒田さんは目を輝かせて当時を振り返る。 「誠一郎が『熊本の皆さんに』というメッセージを話してね。私は画面越しに見ていたんですけど、ちょっと涙が出そうなくらいでした。すごく格好良かった。自分のレースよりも、よっぽど印象深いです。そんなタイミングでGIを勝つなんて普通できない。すごく勇気づけられました」 ヒーロー誕生に沸いた熊本だったが、熊本競輪再開への道は一筋縄ではいかなかった。一時は廃止案も含めて検討され、選手たちももどかしい思いを抱えていたそうだ。 「市議会で廃止論が出るたびに不安でした。地元の競輪ファンのためにも、業界の売上としても絶対になくなってほしくない、というのが本音でした。でも建て直すにしても壊すにしてもお金がかかる。震災前は車券売上が落ち込んでいた時期だったので『この際競輪場をなくしてしまっても…』と言われても仕方なかったですからね」 当初の2020年の再開目標から紆余曲折を経て、2024年度の再開へ、工事は進むことになった。 「いろんな方が諦めずに働きかけてくれた。周りにいい影響を及ぼしていく熊本競輪にしていこう、と動いてくださったことが嬉しかった。市の皆さんの尽力はもちろん、競輪を応援してくださっているファンの方の声も、近隣住民の方の理解も必要でしたから。私たち選手は、周りの支えに感謝しなくてはと改めて思いました」 再開に向け動き出した熊本競輪場。礒田さんも再開後の熊本競輪場を走れる日がまた来ると、信じて疑わなかった。