ブリング・ミー・ザ・ホライズンが語る、脱退劇の真相、再生したバンドの遺伝子
「自分が幸せだと言い切れない根本的な理由」
新たに生まれ変わったブリング・ミー・ザ・ホライズンでは、メンバー全員が制作に携わっている。楽曲のドラムパートを考えるのはニコルズの役目だ。「それだけでもすごくやりがいを感じているのが、はっきりと伝わってくるんだ」。そう言った後で、サイクスは自分の考えをより正確に伝える言葉を探した。「きれいごとを並べ立てるわけじゃないけど、いつの間にか失われていたブリング・ミー・ザ・ホライズンのDNAを取り戻せたと思う。失ったものよりも得たものの方が大きい、そう感じてる」 ポストハードコアやハイパーポップ等、彼をインスパイアする多様なサウンドが入り乱れる『NeX GEn』は、サイクスの再起に至るまでの物語だ。本作では自己発見と、依存症の真っ只中に理想とする自分の姿を見つけようともがく姿が描かれる。自分の背中を押してくれた小さな気づきの数々を、サイクスは本作の全編に忍ばせている。 馴染み深いアーティストたちのサウンドをミックスしてモダンに仕上げたような『NeX GEn』が、様々なバンドにインスパイアされているのは明らかだ。デフトーンズやスマッシング・パンプキンズ、アンダーオース(メンバーのスペンサー・チェンバーレインとアーロン・ギレスピーは「bulleT w/ my namE On」に」ゲストとして参加している)等の2000年代のロックを軸にしつつ、やや意外なブレット・フォー・マイ・ヴァレンタインやウィーザーらの影響を感じさせる部分もある。本作にはメロディと不協和音の狭間を行き来するような、どこか奇妙な生々しさがある。「このレコードのほぼすべての曲が、特定のバンドやジャンル、あるいはクリシェに対するオマージュなんだ」とサイクスは語る。アルバムの後半に配置されている、ポストハードコアの帝王グラスジョーのダリル・パルンボと、ラッパーのリル・ウージー・バートが参加したエクソシズムと世界の終わりをテーマとする曲まで聴き進めれば、もはや何でもアリなのだと納得がいくはずだ。 「実験性の強いアルバムで、制作が進むにつれて磨きがかかっていった」とサイクスは語る。“e-Bayのバンパーステッカー/笑えるしクールだろ、俺の勝手さ”など、彼はいくつかの曲に見られる歌詞について「完全にふざけてるんだよ」と話す。 回復の過程を描く物語は、当然どん底から始まるべきだ。『NeX GEn』の「YOUtopia」は次のようなラインで幕を開ける。“君を連れていきたい / 俺自身もまだ辿り着いていない場所に”。サイクスは「ありのままの自分を受け入れる」とことを、彼にとっての治療の最終目標として掲げる。今は素面だとしても、彼はまだ完全に乗り越えたわけではないことを自覚している。「俺は何か他のもの、あるいは他の誰かになりたい」と彼は話す。「今の自分自身に、俺はまだ納得できていない。それこそが、自分が幸せだと言い切れない根本的な理由なんだ」 フィッシュ抜きでバンドが初めて完成させた渦巻くようなメタルトラック「Kool-Aid」が描き出すのは、超資本主義の個人主義が重んじられる社会が推し進める堕落した「ユートピア」だ。一方で「Top 10 staTues tHat CriEd bloOd」は、誰もが自らの力で立ち上がらなければならないことを教えてくれる。続く「liMOusine」のサディスティックな嫌悪感について、サイクスはこう話す。「人工的に生み出される高揚感についての曲。リムジンに乗り込むとき、自分が日常から切り離されるのを感じるんだ。それは快楽主義的なライフスタイルや中身のない高揚感の象徴であり、虚しさを忘れるためのお手軽な特効薬なんだ」。また「DArkSide」では、彼自身とレコードの登場人物の両方が再び闇に飲み込まれ、少なくとも一時的に敗北を喫する。 「自己治癒を試みたことのある人、あるいは依存症を経験した人は、必ずどこかで振り出しに逆戻りする。もれなく全員がそうなんだ。『自分自身の力で克服してみせる』と誓いを立てて、1度目の挑戦で成功する人はいない」 アルバムの後半を、サイクスは「リハビリ編」と形容する。「n/A」(匿名の麻薬中有者の頭字語であることは明らかだ)の冒頭でその部屋へ足を踏み入れた彼を迎えるのは、「よぉオリー、このクソ野郎 / 俺たちを騙せると思ったのか?」という、依存症仲間たちによる圧倒的な合唱だ(BMTHの最近のライブの場でレコーディングされた)。再発症をテーマとするこの曲について、サイクスはこう話す。「鞍に飛び乗るところが最大の難関だと思われがちだけど、本当に難しいのはそこにとどまることだ。なぜなら、それはとんでもないじゃじゃ馬だから」 「過ちを犯し、再び振り出しに戻ってしまったことで酷い自己嫌悪に陥る。『俺は誰もかもを失望させてばかりだ。誰からも憎まれ、自分を恥じずにいられない』っていうあの最悪な気分。ほんの一瞬だけでもそれを忘れさせてくれる何かに再び手を染めてしまい、元の木阿弥になってしまう」 彼は『Sempiternal』の制作に入る前に経験した、リハビリ施設での12ステップミーティングのことを思い出す。何よりも勇気づけられたのは、自分が狂っているわけじゃないということ、あるいは誰もが自分と同じように狂っていると理解したことだった。施設での彼のルームメイトは、軍人としてアフガニスタンに赴き、統合失調症と摂食障害を患い、実の父にレイプされた過去を持つ男性だった。「誰もが暗い過去と深い傷を抱えてた」と彼は話す。「そこでは誰もがこう思ってた。『俺はダメだ、絶対にこの沼から這い出せない』。それでも周囲の人間が立ちあがろうとするのを見て、精神が浄化されるように、自分にもできるはずだと思えたんだ」。当時はリハビリのプログラムを、神の存在を強調し過ぎているという理由で拒否した(彼は無神論者だった)。彼は今も神の存在は信じていないものの、崇高な力に従うようにしているという。 パンデミックの間に依存症を再発したことで、彼は新たな対処法を学んだ。体が薬物を欲した時、彼は速やかにそのことを誰かに話すようにしている。「誰かに伝えることで、頭の中をすっかり占めていたその欲求を抑制しやすくなるんだ。誰かが背中を押してくれるんだよ。『この薄汚いヤク中め』なんて言うんじゃなく、手を差し伸べ、なぜ俺がそういう気分なのかを理解しようとしてくれる」。依存症の克服の困難さを経験したことのあるファンならば、当初の混乱や友人をなくすことの苦しみを知っているだろう。「そういうやり方を選ぶ人は多くない。ものすごく苦しいから」と彼は話す。