ブリング・ミー・ザ・ホライズンが語る、脱退劇の真相、再生したバンドの遺伝子
「歌が下手だった俺は、ジョーダンからいろんなことを学んだ」
サイクス自身は、「オリーとジョーダン」というタッグから解放されることを、自身の才能を証明する機会だとは捉えていないのだろうか? 「俺ならできるってずっと思ってた。2人のうち、ずっと過小評価されていたのは俺の方だ」。彼は何でもないことのようにそう話す。バンドのバイオグラフィーでは、フィッシュは『Sempiternal』の制作にあたって加入したとされており、ニッチなジャンルのいちバンドに過ぎなかった彼らが飛躍する原動力となったという見方が一般的だ。Sonyはブリング・ミー・ザ・ホライズンとの契約に際して、メタリカの発掘やAC/DCとの契約に勝るとも劣らない重要な出来事だとコメントしていた。 サイクスがリハビリを終え、依存症との格闘についてのアルバムを作ろうとした時、2人は確かに同じ方向を見据えながら偏執的なまでに濃密なクリエイティブプロセスを開始し、2人のコラボレーションの方法を確立した。それはサイクスにとって、はるかに健全な依存の対象となった。「『Sempiternal』が俺たちの出世作であることは確かだけど、バンドは1枚目以降ずっと良くなり続けてる」。彼はそう続ける。「俺たちが成功した理由はたくさんあるけど、決意と努力による俺自身の成長が一番の要因であることは間違いない。歌が下手だった俺は、ジョーダンからいろんなことを学んだ。『俺には無理だ』って投げ出したりせずにね」 「彼なしでもやっていけるという自信はあった」。サイクスはそう続けた。「ジョーダンの手腕を失うことに対する不安がなかったわけじゃない。彼にもそう伝えたよ。でも俺は自分が求めているものを理解しているし、いつだって明確なヴィジョンを持ってる。手段を選ばず、何があっても目的を達成する。誰かのサポートが必要なら、迷わずそうするだろう。今のバンドにできないことがあっても、必ずクリアしてみせる。問題はできるかどうかじゃなく、どうやってやり遂げるかなんだよ」 フィッシュの脱退は、バンドにポジティブな影響ももたらした。バンドの他のメンバーたちはこれまで、曲作りのプロセスから「除外」されていたとサイクスに語ったという。「彼らはそれで納得していると当初は思ってた。『お前らに任せるよ』っていう感じで。でもジョーダンが抜けて、改めてメンバー同士で腹を割って話してみて、バンド内に不満が溜まっていたことを知った。隅っこに追いやられているように感じるっていう声もあった。その責任の一部は自分にあると思ってる。俺とジョーダンはいつも突っ走って、他のメンバーの意見に耳を傾けなかったり、全部コンピューターで仕上げてしまうこともあったから」。それはつまり、音源で耳にするドラムやギターはすべてプログラミングであり、実際に演奏したのではないということだ。グラミー賞にノミネートされ、英国チャートの首位を獲得した2019年作『amo』は、まさにその手法の産物だったという。「そういうやり方を選んだせいで、あのアルバムへの思い入れが薄いっていう彼らの言い分は理解できるよ」とサイクスは話す。 彼はバンドのドラマーであるマット・ニコルズを例に挙げる。「こう思うんだ。『バンドのメンバーでありながら、曲に愛着が持てないとしたら?』って。全部打ち込みのドラムを聞いて、『俺なら生でこういうフィルを入れるのに』って」。彼はそう話す。「ジョーダンと俺は2人だけでアルバムを作ってた。『完成した。収録曲はこう。スタジオに入ってドラムを録り直す必要はない。俺たちでやっておいたから』。そんなふうに一方的に告げて、彼が作品に参加したがっているなんて考えもしなかった。作品を仕上げることだけを考えて突っ走って、そういうことにまったく配慮しなかったことに罪悪感を覚えているんだ」 サイクス曰く、筆者がロサンゼルスでバンドと行動を共にしていた時、ニコルズはずっと塞ぎ込んでいたという。「彼はこうこぼしてた。『退屈すぎておかしくなりそうだ。やるべきことが何もない』。当時の俺は『仕方ないだろ』って感じだったけど、今ならわかるんだ。制作に関与していないんだから、そう思うのも無理はないって」。 フィッシュが脱退する直前の頃には、彼と一緒にスタジオに入ることさえも億劫だったとサイクスは話す。「完全にモチベーションを失ってしまってた。アルバムがリリースされなかったのは、俺が彼と話したくなかったからだ。さっさとレコードを完成させて終わりにしたいっていう、その一心だった。嫌な気分だったよ」。フィッシュ脱退後、サイクスとニコルズ、そしてギタリストのリー・マリアとベーシストのマット・キーンの4人で『NeX GEn』の半分の制作に取りかかった時、彼は気分が高揚するのを感じたという。他のメンバーたちの顔にも充足感が見てとれた。