安倍政権の「やまとごころ」 森友加計問題に見る日本政治の文化的矛盾
三度目の安倍政権
こう考えると、森友加計問題をとおして安倍政権が抱える矛盾、明治以来の日本政治そのものの矛盾、日本文化そのものの矛盾が見えてくる。 尊王攘夷と文明開化の矛盾。対米戦争と親米反共の矛盾。国家主義と資本主義の矛盾。大統領型の官邸と官僚機構の矛盾。近代思想とネット社会の矛盾。 つまり黒船来航以来の日本人の精神の力学(「文化の力学」ともいえる*4)が連綿と続いているのだ。ヨーロッパとアメリカの現代政治が、移民問題と宗教問題に動かされているように、日本の現代政治も歴史と文化の力学から逃れられない。一人の人間が過去を断ち切ることができないように、一つの国家もまたそれまでの経験を断ち切ることはできないのだ。 そして今、その文化的矛盾が、長期政権による仲間主義の傲慢として、一気に噴き出しているのである。 かなり危険な状態だ。支持率の急落もありうる。 国民の多くは、久々の長期政権を、安保関連法や対テロ関連法や憲法改正に殉ずるならともかく、こんな問題で崩壊させるのはもったいないと考えている。と同時に、官邸とその周辺の仲間主義の傲慢と開き直りを許すべきではないとも考えている。 残されるのは第三の道、「転換」である。 二度目の政権(厳密にはすでに第三次)だが、これを機会に「三度目の安倍政権」として出直すほどの覚悟が必要だ。「反省と新生」こそ「やまとごころ」というものではないか。 安倍政権最後の矛盾は、長期政権そのものの悪弊である。 中曽根康弘は総理になって、公的な視野を拓いた。 小泉純一郎は総理になって、非情に徹した。 今の安倍政権に必要なことはこの二つだ。個人的情緒的信条を捨て公的な視野に立ち、その歩みにまつろう仲間たちを政策から切り離すことである。 そして政治改革、行政改革、財政改革の道筋をつけ、憲法改正を国民に問うてこそ、歴史に残る内閣となるのだ。 それにしても日本の政治は矛盾に満ちている。 明治維新も、太平洋戦争も、現行憲法も矛盾している。 民主主義も、国家主義も、資本主義も矛盾している。 「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される」と漱石はいう(*6)。 われわれは、この矛盾の中を、何とか生きていくほかはないのだろう。 (若山滋 建築家・名古屋工業大学名誉教授) ---------- *1・主として小林秀雄著『本居宣長』新潮社刊による筆者(若山)の意訳 *2・拙著『家とやど』朝日新聞社刊 *3・拙著『風土から文学への空間』新建築社刊 *4・拙著『風土から文学への空間』新建築社刊・参照 *5・ネット右翼。主として隣国に対する嫌悪感が露わなインターネット上の書き込み傾向を指す *6・夏目漱石著『草枕』の冒頭