安倍政権の「やまとごころ」 森友加計問題に見る日本政治の文化的矛盾
二人の祖父
母方の祖父岸信介はよく知られているが、父方の祖父安倍寛はあまり知られていない。戦争に徹底反対した山口県出身の政治家で、清廉潔白、無私無欲の人柄から「今松陰」と呼ばれた。晋三がもつ温和な雰囲気は、切れ者であった岸よりも、こちらのDNAであろう。 しかし晋三は、母方の祖父岸信介を尊敬しているようだ。 岸は秀才で、学生時代に、5・15事件、2・26事件の理論的支柱であった北一輝や大川周明の影響を強く受けたという。官僚となり満州の経済政策の実権を握って、松岡洋右(満鉄総裁)、鮎川義介(日本産業総帥)とともに「満州の三スケ」と呼ばれる。東条内閣では商工大臣を勤め、戦後はA級戦犯として巣鴨に収監されたが無罪放免となり、その後はきわめて親米的な政治家として、吉田茂に対抗する立場で頭角を現し総理大臣となった。 対米戦争の一翼を担いながら、一転、親米反共の政治家として上りつめる。尊王攘夷から文明開化への転換を思わせるが、つまり日本政治の宿命ともいうべき矛盾を生きたといえる。 60年の安保騒動はまだ記憶に新しい。筆者は中学生であったが、どういうわけか虎ノ門あたりでデモ隊に巻き込まれ「アンポーハーンタイ、キシヲータオセー」と叫んでジグザグ行進をした覚えがある。 安倍政権の矛盾の一つは、この岸が生きた対米と親米の逆理である。
右寄り長期政権の流れ
高度成長以後の総理大臣で、長期政権となったのは「中曽根康弘・小泉純一郎・安倍晋三」であり、保守の中でも右寄り、このラインの文化的性格を追ってみる必要はある。安倍自身も二人を先達としている。 中曽根康弘は、海軍の将校で、政治家としても「青年将校」が代名詞。総理になってから、外交においては、レーガン、サッチャーとともに「新保守主義」の一翼を担い、内政においては、国鉄、電電公社、専売公社の民営化を達成する。ダブル選挙ではきわめて高い支持をえた。「国士」というイメージであるが、現実認識に対しては柔軟なところがあり、靖国問題でも中国に配慮している。憲法改正の意志において、安倍の先達といっていい。 小泉純一郎は、中曽根のような国士ではなく、保守の中でも「変人」とされた。「改革と民営」に焦点を当て、日本をアメリカのような競争社会にしようと、いわば「新自由主義」的な方向に舵を切り、中曽根と対立するところもあった。「自民党をぶっ壊す」と発言したが、壊したのは「プロの政治」で、結果として小泉チルドレンと呼ばれる素人議員が多数誕生した。政治の劇場化を招いたともいえる。清和会(岸、福田の流れ。自民党の中でも右寄り)という点でも安倍と一致している。 安倍晋三は、中曽根ほど国士的でもなければ、小泉ほど民営的でもない。しかし思想的情緒的には、もっとも右寄り、愛国心と伝統文化を教育に反映させようとする。 また一方で、ネット世代に近いところがあり「ネトウヨ」(*5)と呼ばれる短絡的感情的な愛国主義者にも支えられている。「新新保守」と呼ぶべきか。これまでのアジア主義的右翼思想には無縁の、中国や韓国の反日に対する反対すなわち「反・反日」である。 いわば中曽根の「新保守主義」、小泉の「新自由主義」に対して、安倍は「伝統保守と新新保守の融合」であろうか。 安倍政権の矛盾の一つは、松陰以来の憂国と最近のネット右翼のあいだに横たわる深い溝である。