かつては「学校に行かない」という選択肢はなかったが…「不登校」という概念の発見
日本は今、「人生100年」と言われる長寿国になりましたが、その百年間をずっと幸せに生きることは、必ずしも容易ではありません。人生には、さまざまな困難が待ち受けています。 【写真】じつはこんなに高い…「うつ」になる「65歳以上の高齢者」の「衝撃の割合」 『人はどう悩むのか』(講談社現代新書)では、各ライフステージに潜む悩みを年代ごとに解説しています。ふつうは時系列に沿って、生まれたときからスタートしますが、本書では逆に高齢者の側からたどっています。 本記事では、せっかくの人生を気分よく過ごすためにはどうすればよいのか、『人はどう悩むのか』(講談社現代新書)の内容を抜粋、編集して紹介します。
不登校という概念の発見
不登校は小学生でも見られますが、思春期を迎えるころから急に増えるので、中学生で大きな問題となります。理由は、思春期に起こる心身の変化で精神的に不安定になることや、友人や教師との人間関係が複雑になること、生活の環境が変わること、勉強の内容がむずかしくなることなどが考えられます。 不登校になるきっかけもいくつかあり、生徒間のイジメや暴力、プライドを傷つけられた、学校に居場所がない、授業についていけない、特定の教師に会いたくないなどで、いずれも学校へ行かないことのデメリットより、行かないメリットのほうが大きいという判断に基づいています。 一方で、学校に行かないことのデメリットもわかっているので、当人は葛藤を抱えます。無理に登校させることは解決にはならないどころか、よけいに事態を悪化させる危険性があります。不登校の理由をよく理解し、それに応じた対策を講じなければ、日常に復帰させることは困難です。 私自身も高校二年生のときに、継続的な不登校ではありませんが、何度か意図的に学校を休んだことがあります。成績を上げることに執着して、深夜まで勉強するつもりが、睡魔に負けて寝てしまった翌朝、その日の時間割りを見て、家で勉強したほうがいいと判断したときに登校しなかったのです。少しでも無駄をはぶきたいという焦りのせいですが、そんなことをしても成績は上がらなかったので、結局は空まわりでした。 高校三年生のとき、同級生の一人がいつの間にか学校に来なくなりました。当時(一九七三年)はまだ「不登校」という言葉も一般的ではなかったので、どうしたのかと思っているうちに留年してしまいました。あとから聞くと、精神的に不安定になって、どうしても学校に行けなかったとのことですから、不登校のはしりだったのでしょう。 私の父は、子どものころ学校に行くのがイヤで仕方なかったそうです。しかし、病気以外で学校を休んではいけないという固定観念があったため、仕方なく登校していました。世間で「不登校」が問題になりはじめたとき、父は「最初に不登校をした生徒は偉い。新しい選択肢を発見したのだから」と感心していました。 不登校という概念が世間に広まったせいで、不登校になる生徒が増えたという側面があるかもしれません。 さらに連載記事<じつは「65歳以上高齢者」の「6~7人に一人」が「うつ」になっているという「衝撃的な事実」>では、高齢者がうつになりやすい理由と、その症状について詳しく解説しています。
久坂部 羊(医師・作家)