なぜ「ひな祭り」に人形を飾るの? 平安時代まで遡るその由縁
現代の着物にも継承されているポイント
現代の着物を着こなす上のポイントの一つに、祝い事は重ねるというルールがあります。これは、まさに平安時代の十二単に代表される、重ね着の文化の継承です。祝いの席では着物と襦袢の衿もとの間に、さまざまな色の生地をはさみます(重ね衿)。 黒留袖はそもそも仕立ての時に、黒地の着物地の下に、白い着物を重ね着しているように、衿から裾まで一枚の白い生地を縫い付けます(比翼仕立て)。帯は袋帯と言って長い帯をしめお太鼓の部分は長いので二重に太鼓をつくって締めます(二重太鼓結び)。 男性も正装着は着物上に羽織と袴を重ねます。これらは、すべて平安時代の重ねる文化の継承です。他にも、十二単衣を着るときに、足元に赤い袴をはいていますが、これは現在では巫女さんが継承しています(緋袴)。 一方でこの袴の股割れをなくしスカート状にした女袴が明治に考案され、学校に通うようになった女学生の着物の裾の乱れを抑えるために、着物を制服として着ていた昭和の初めまで用いられてきました。その後昭和50年代ごろから大正ロマンに憧れる女子大生の卒業式シーンで再び見かけるようになりました。
和の心を育むひな人形
このように、ひな人形は女性の身を守るお守りであり、日本女性の憧れの姿でもあります。 その昔フランシスコ・ザビエルがキリスト教で日本を救おうと来日したところ、日本は確かにヨーロッパと比べ貧しかったのですが、人々は親切で犯罪が少なく、ザビエルがその心の美しさに驚いたという旨の手記を残しています。 それは、常に日本人が着物を着て帯で腹をしめることにより、氣をへそ下のつぼである丹田に落としていたことと、節句などの儀式を繰り返すことで心を清めていたからだと言われています(=腰肚文化 齋藤孝著「子どもたちはなぜキレるのか」ちくま新書)。 雛祭りも大切な節句の一つです。ひな人形は特定の女の子の穢れをとるために準備するものなので、他の女児に伝承するのではなく、女の子が大人に成長し役目を終えると最後は供養して処分するものとされています。 ただ、何歳で処分するといった決まりはないので、娘が生まれても、娘のひな人形とともに、お母さまの男びなと女びなだけは一緒に飾る家もあります。 雛祭りが、美しい日本人の和の心をつくってきた――この文化を、大切に後世に伝承していきたいものですね。
池田訓之(株式会社和想 代表取締役社長)