なぜ「ひな祭り」に人形を飾るの? 平安時代まで遡るその由縁
ひな人形に込められた意味
人形は高価で流すわけにはいかないので飾りますが、ひな人形にこめられた意味は、人型の紙や藁のひいなと同じく、災難から子供を守ってくれる身代わりです。 ですから、ひな人形は2月の節分という旧年の厄払いが終わったころから、女の子を災いから守るために日の良いときに飾り出します、そこに厳密に決められた日はありません。 一説には、節分の後の雨水(うすい)の日に飾ると良縁に恵まれるともいわれています。雨水とは「雪が雨に変わり、雪が解ける時期」という意味で、二十四節気の一つです。 一方で、3月3日が終わったらすぐにしまいなさいといわれています。それは人形が節句の災いを吸い取ってくれているのに、しまわないでいると災いが戻ってくるおそれがあるからです。
ひな人形は平安時代の結婚式を再現している
このように、ひな人形は江戸時代から登場してきたのですが、実は人形たちが演出しているのは、平安時代の結婚式なのです。それは、鎌倉時代から武士が公家から権力を奪い、国を支配してきたのですが、武士階級の心のなかには、平安時代の公家たちが世を支配していた、雅な時代へのあこがれがあったからでしょうね。 平安時代といえば、遣唐使を廃止し外国に学ぶことをやめ、日本独自の文化が花開いた時代です。支配階級であった公家たちは、日々歌を詠み、食べて飲んで、踊り、女性の着物姿は幾重にも色衣を重ねた十二単、男性も衣を重ねた束帯姿。 戦うなど動き回る必要はなかったので、ひたすら豪華に着飾って過ごしたのでした。その優雅さへの憧れから、ひな人形は平安時代の高貴な身分の貴族の結婚式を現しているのです。 人形飾りは、一段目が束帯姿の男びなと十二単の女びな、二段目にはお姫様にお酒をつぐなどの世話をする三人官女。三段目には演奏をする五人囃子。四段目は政治を司る随身、五段目は宮中の雑用係である仕丁、六段目には嫁入り道具、七段目には嫁入り道具とお姫様を運ぶお輿入れ道具が並びます。 六段目には菱餅も並びますが、赤、白、緑の三色は、雪が解けて、草花が茂り桃の花が咲くさまを現し、餅がひし形なのは草花の菱が生命力にあふれていることにあやかるため、つまり子供の健康と子孫繁栄を願っているのです。