594球の裏にあった葛藤…近江エース山田陽翔の決勝戦先発は回避すべきだったのか…「先発は間違いだった」と監督“懺悔”
第94回選抜高校野球大会の決勝戦が31日、甲子園球場で行われ、大阪桐蔭が記録ずくめの猛打で18ー1で近江を圧倒。4年ぶり4度目の頂点に立った。代替出場で快進撃を続け、滋賀県勢初の優勝を目指した近江は、前日に死球を受けながらも170球で4試合連続完投した大黒柱の山田陽翔投手(3年)が先発したが3回途中で4失点降板。球数制限も注目される中での志願しての先発マウンドだった。その舞台裏ではどんな葛藤があったのか。
自ら降板を求める「これ以上迷惑かけられない」
木っ端みじんに打ち砕かれた。志願して先発のマウンドに立った山田は初回に味方の不運なエラーからタイムリーを浴び、プレーボールからわずか2分で1失点。続く2回にも1点を失うと、3回には死球の走者を一塁に置いて、プロ注目の大阪桐蔭の3番・松尾汐恩捕手(3年)に左越え2ランを浴びた。 3安打4失点、この時点で球数は45球。「1週間500球以内」という球数制限のもとではまだ71球投げることが可能だったが、山田はベンチへ向かって自ら右手で交代を求めるジェスチャーをして「無理、無理」と訴えた。 甲子園で投手が自ら降板を申し出るなど異例だ。まして“魂の男”の山田である。よほどの非常事態が起きていたのだろう。3回は1死も取れないままノックアウト。二刀流として注目を集めている山田は、少しでも負担を軽くしようと打順は本来の4番から9番に下がっていたため打席に立つことはなかった。 「これ以上、迷惑をかけられないと思った。前日に170球投げた影響か、ボールにうまく力を伝えられなかった」 山田は足をひきずるようにしてマウンドを降りた。 エースで4番でキャプテンという大黒柱を失ったチームは、その後も、準々決勝の市和歌山戦で清原和博氏、桑田真澄氏のKKコンビを擁するPL学園が1984年に作った1試合6本塁打の大会記録に並び、準決勝の国学院久我山戦でも2試合連続2桁得点した大阪桐蔭の猛打に圧倒され、4被弾を含め16安打18失点。 PL学園が同年に作った大会最多本塁打記録の8本を超える11本などの多くの記録を作られて完敗した。 山田の先発は正しかったのか。 試合後、近江の多賀章仁監督(62)は判断を誤ったことを素直に懺悔した。 「山田でいったが、結果的にきょうの先発は無理だった。回避すべきだったと思っている。夏や彼の将来のことを考えると先発させたのは間違いだった。本人が志願したが、ブルペンから本来の状態ではなかった。後ろで投げるチャンスが出て来たら、そこでという判断をすべきだった」