594球の裏にあった葛藤…近江エース山田陽翔の決勝戦先発は回避すべきだったのか…「先発は間違いだった」と監督“懺悔”
試合前の甲子園一塁側のブルペン。先発を志願し左足首をテーピングで固定して、20球ほど投げ込んだが、そこにいたのは今大会最速タイとなる146キロをマークした山田ではなかった。 「130キロも出ないと分かっていた」 敵将、大阪桐蔭・西谷浩一監督(52)も山田の異変を感じ取っていた。 「先発がどうなるかと思っていたが、山田君が先発するということでブルペンを見て、思うように投げられていないのが分かっていた。だから変化球が多くなることも頭に入れていました。山田君は限界に達していたと思う。それでも気持ちを込め、エースとして主将として先頭を切って投げていた。その気持ちにだけは負けないようにしようと伝えていた」 大阪桐蔭は昨年の夏の甲子園の2回戦で近江に逆転負けを喫していた。 その敗戦を糧にこのチームは強くなり、センバツの決勝戦にまで昇り詰めていた。大阪桐蔭にすれば、その近江との対戦には、これ以上ないドラマがつまり、選手たちのモチベーションも最高潮だった。その山田が満身創痍であることはわかっていて、複雑な感情も入り乱れたが、そこに全力でぶつかることが最大限のリスペクトであると考えていたのである。 山田は、その状況でやれることをやった。 球速は135キロが精いっぱいだったが、変化球主体に切り替えた。しかし、慎重になりすぎ、初回を終わって球数は22球を数え2回も19球。もうすべてが限界だった。 山田にもチームにも余力は残っていなかった。広島商戦が不戦勝となったことで1試合少ないアドバンテージから縦横無尽にグラウンドを駆け回る大阪桐蔭とは対照的。近江の内外野の足取りは重く、イージーミスも目立った。 近江は山田の後を受けた背番号「9」をつけたサウスポーの星野世那が5回1/3を投げて14失点。 「チームに申し訳ない。自分がもっと信頼される投手だったら山田を助けられた。夏に向け、先発を任されるようになって、チームを勝たせるような投球をしたい」と口元を引き締めた。 山田の痛々しい降板劇は、さまざまな問題提起をしたとも言える。 ひとつは球数問題である。「1週間500球以内」の球数制限は多すぎてほとんど意味がないとの批判は、導入当時からあった。もし山田の登板可能な球数が116球でなく、もっと少なければ、多賀監督は、葛藤することもなく、先発回避か後半での短いイニングの起用をしただろう。 またずっと議論されてきた日程の問題もある。休養日がプラスされて設けられるなどの余裕があれば、近江のようにエースが一人しかいないチームの負担も少なくなる。 そしてもうひとつは複数投手制の積極推進である。多賀監督は、「きょう改めて野球はピッチャーだと感じた。夏に向け、山田に次ぐ投手を育てていきたい」と話し、山田本人も、「1人では難しいと感じた。壁はまだまだ高いが、何とか監督さんを日本一に。また夏に戻ってきて、次こそはという気持ちです」と語った。プロ注目の2年生左腕の前田悠伍を準々決勝、決勝の2試合だけに先発させ、3年生エースの川原嗣貴との2枚看板に加えて同じく3年生の別所孝亮まで備えていた大阪桐蔭とは対照的だった。チーム事情によって複数投手制を採用したくともできないところもあるだろう。全国レベルでいえば、同じような力量の投手を複数揃えることのできるチームのほうが少ないのかもしれないが、“山田の悲劇”は、複数投手制についての議論にも火をつけた。 大阪桐蔭の桁外れの強さと同時に、高校野球が抱えている問題が浮き彫りとなり、考えさせられることも多い決勝戦だった。