ニュージーランドの公立小学校の“自由で刺激的”な日常とは。移民大国で根付く「ダイバーシティ教育」の実際を紹介
1960年代まで、学校でマオリ語を話すと体罰を受けるような状況だったと近所の人から聞きました。マオリの文化は一度、強制的に潰されかけたんです。 1970年代から高まるマオリの復権運動のなかで、立ち返るポイントとなったのが1840年に締結された「ワイタンギ条約」でした。これは、イギリス女王とマオリの首長たちの間で結ばれた条約で、条約締結の際に英語からマオリ語に翻訳されていますが、英語で読むとマオリは「主権(sovereignty)」をイギリスに全面的に譲渡したことになっている。
ところが、マオリ語版ではイギリスは「監督」を行うだけで、土地を含むマオリのすべての「宝」についての権限は、マオリの首長が有すると謳われているんです。つまりマオリの首長たちがサインしたのは、マオリとパケハが共同で土地を管理するという条約だった。 この条約はその後、長く無視されていましたが、マオリの復権運動の展開と1975年に制定された「ワイタンギ条約法」を通して、マオリ語で書かれた条文の意義が再認識されたんです。
そこからこの国は、どうやったら先住民マオリと入植者の子孫による「共同統治」を実社会で実現できるかを模索し始めた。これは、アオテアロア/ニュージーランドという国家のかたちを構想し直す現在進行中の実験です。学校でマオリの文化が重視されているのも、このワイタンギ条約の理念に基づいています。 鳥羽:興味深い話です。では、先ほど学校で見たマオリカルチャーは、この国のあらゆる教育現場に浸透しているという認識でいいんですか。
平倉:現実には地域や学校によって大きく異なりますが、理想はそうです。マオリ語とニュージーランド手話は、英語とともにこの国の公用語になっていて、子どもたちはその2つの言語も楽しそうに学んでいます。 先日、小学校で入学式があったんですが、マオリの歓迎の儀式「ポーフィリ」に部分的に則して行われるイベントでした。儀式はマオリ語での挨拶のあと、マオリの先生が手に枝を持ち、呼びかけの言葉を唱えつつ波のように手招きして、新入生と保護者たちを建物へ導いていくところから始まります。招き入れられて、大きな建物のなかに入ると、全校生徒の迫力ある「カパ・ハカ」によって迎えられる。それを受けて新入生の保護者たちが母国語で感謝を伝えるんです。