ニュージーランドの公立小学校の“自由で刺激的”な日常とは。移民大国で根付く「ダイバーシティ教育」の実際を紹介
■問題は具体的な予算と人員 鳥羽:本当にいい経験になりますね。日本では多様性(ダイバーシティ)という言葉が実質をともなっていません。この言葉は、いまや中学公民の教科書にも太字で載っていますが、子どもたちだけでなく、教える側の大人さえも、その言葉の本体のようなものがわからないままに多用している。多様性というのは混沌とした収まりがつかないものなのに、それが単なるイマどきの言葉として消費されている。 それに比べて、この地でダイバーシティ教育が根付いていることは羨ましいし、子どもたちにとってはシンプルに刺激的だろうなと想像します。
平倉:先ほどの予算の話にもつながりますが、ダイバーシティの実現のためにも予算が必要です。多様性という言葉には、国籍や民族的ルーツだけでなく、個々人の心身のさまざまな特性も含まれます。 例えば、授業中にバーッと外に飛び出していってしまうような落ち着きのない子が、同じ空間で学ぶためにはどうすればいいか。そのためには専門のスタッフをつけるしかないわけで、そこにもお金がかかる。ダイバーシティの実現も絵空ごとじゃなくて、具体的な予算と人員の話になるんです。
鳥羽:なるほど。そういったリアリティがニュージーランドでは感じられます。実際にやるためにはまずは予算なのだ、というプラクティカルな話になるところが非常に頼もしいです。 ■なぜ入学式で「カパ・ハカ」を踊るのか 鳥羽:今日は公立の小学校だけでなく、公立の高校も見学しましたが、どちらの学校にも共通していたのが、先住民族マオリのカラーを前面に打ち出していることでした。 現代で伝統的な文化を扱うとなると、単にファッションとして消費されたり、すでに死んで標本化したものを死体のまま生きたように再現するような、ある種グロテスクな展示がなされたりしがちです。
ところが、ここではちゃんと土着のものとして向き合っているように感じられました。それらは守られるべきものというよりは、いきいきと生かされるべきものとして扱われているように感じられました。 平倉:マオリはまさに生きた文化です。また、それを生きたものとして「取り返す」ための実験が絶えず行われている。背景には、ニュージーランド──マオリ語では「アオテアロア(長く白い雲のたなびく地)」──において、ヨーロッパ系入植者たち(パケハ)がマオリから不当に土地を奪い、戦争で殺戮し、社会的・経済的な苦境下に抑圧してきた長い歴史があります。