なぜ夏目漱石が「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳した逸話が生まれたのか解き明かす 南沢奈央の“欲”に応える一冊
まさにその独演会のときにも持参していた北村薫さんの『中野のお父さんと五つの謎』でも、漱石の〈月が綺麗ですね〉問題が出てきたのである。 さらに、〈ある落語家がそれを枕に使ってる〉ともあり、談春さんの『紺屋高尾』を思い出していたから、このタイミングで偶然にも生で聴けた感動はひとしおだった。 そんな落語を聴き終え、だいぶ冷静になった後。本の中でも「漱石がそう訳したというのは、根拠のない伝説でしょう」とあるけれど、では一体、どこからこの話が生まれたのか。 気になるけれど調べるまでに至っていなかったわたしの欲に応えてくれるように、編集者の主人公・田川美希が、周りの博識な先生に話を聞き、あらゆる資料を探り、最終的には中野に住む国語教師のお父さんの元に行って、その謎を解くのである。 想像することと、事実を辿ることの面白さはぜひ読んで体感していただきたいところなので詳しくは紹介しないが、伝言ゲームのように、文豪の逸話が語り継がれ、それを面白がり、徐々に大きく盛られていって、いわゆる“文豪らしい逸話”へと変化していった、その過程が明らかになり、思わず膝を打つ。
――と物語が面白いのはさておき、と冒頭の談春さんの落語と同じことを言うようだが、この本を読んで個人的に胸キュンだったのは、落語の話題が豊富なことなのである。 文豪の謎を解きながら、落語の話題が多数登場する。〈志ん生といえば、十八番中の十八番が『火焔太鼓』。その枕を聞いただけで、引き込まれてしまったな〉というくだりは、大共感だったし、落語のようなことが夏目漱石にもあったというエピソードの最後、「人生は落語だ」と締めているのに痺れたし、芥川龍之介が初代三遊亭圓右と顔が似ているというのはなんだか微笑ましかった。 一番刺さったのはこの部分。〈消えてしまい、もう伝えなくてもいいものもある。しかし、今はないからこそ、伝えてほしいものもある〉。 現代には使われない表現や今はもう存在しない物や場所。それが落語にはたくさん残っている。『はてなの茶碗』という落語で、“万葉仮名”という言葉が登場する。文字で残された資料には、“万葉仮名”と書かれていてフリガナがない。だから“まんようがな”と読んでしまうところだが、かつては当たり前に“まんにょうがな”と読んだ時代があったのだそう。 そして人間国宝でもある桂米朝は、落語のなかで、“まんにょうがな”と言っていたのだという。現代では使わなくともそれをあえて残すことで、今ではない空気を伝え残すことができる。さらに弟子である枝雀や吉朝も、師の言葉を受け継いで“まんにょうがな”と言っていた。〈落語が、活字ではなく、人の口から耳へと伝えられることの意味が、ここにある。敬愛する人の息づかいと共に言葉のバトンが渡される〉――。 大好きな本を通して、文豪に触れて、こうして大好きな落語の素晴らしさを再確認……。珍しく興奮して眠れず、月を見上げてしまうのだった。
新潮社