美しい言葉ばかりを並べている会社は要注意!? 元広告制作者が教える「採用広告」の見方
広告設計がぶちこわしにする「現場を知らない役員」の修正
ところが、広告というのは、クライアントの了承があってこそ、制作を進められるものです。制作者がどんなに考え、これがベストだと思っても、クライアントが良いと思わなければ世に出ることはありません。 若い担当者、さらには課長レベルまでゴーサインが出ても、部長レベルで却下されることもある。時には、役員や社長の判断でノーになることもある。 場合によっては、クライアントによる修正が行われたりします。それによって、より良いものになることもなくはないのですが、時には残念なものになることがあります。せっかくの広告設計がぶちこわしになることも。さらには、若者ウケの良さそうな内容に差し替えてしまう会社すらある。
「美しい言葉ばかりが並ぶ」企業は“自浄作用”がないかもしれない
採用ツールを眺めていて、「どうにも美しい言葉ばかりが並んでいるな」「当たり障りのないことばかりが書かれているな」「なんだか面白くないな」と思われたら、それはかなりの確率でクライアントによる修正が入ったものだと思います。 しかも多くの場合、現場を知らない役職クラスによるケースが多い。だから、残念なものになる。さらに残念なことは、これを世に送り出す判断を会社としてしてしまった、という事実です。若い社員が見たら、間違いなく違和感を持ったはずだから。 つまり、自浄作用がないということ。これだけで一刀両断するつもりはありませんが、あまり共感できないような、美しい言葉ばかりを並べた採用ツールを作っている会社は要注意だと思います。しっかりと自分の感覚で、本当の会社の姿を確認したほうがいい。 若い人が見て、なんとも違和感が残るようなツールも同様。残念な状況が起きてしまうような文化や体質を持った会社である可能性があるからです。
大胆か、保守的か。採用ツールでも会社の「文化」がわかる 逆に、「うわ、こんなことやるんだ」「大胆なチャレンジだなぁ」「初めてこんなの見た」と思えるような採用ツールを作っている会社は、そうしたことができる文化を持った会社だと見ていいと思います。 つまり、リクルーティングページやパンフレット、もっと言えば採用戦略そのものに、会社のカラーが如実に表れるということです。 思い切ったアグレッシブなことをやっている会社は、そういう雰囲気が間違いなくある。逆に、採用ツールがなんだか保守的に見える会社は、そういうカルチャーだと思っていい。こういうところにも、知らず知らずに社風が出てしまうのです。 実際のところ、細かな企画を提案するのは制作者です。しかし、そういう企画を出させようとするのは、会社側。新しいことを受け入れないと思える会社に、ターゲットが変わらない限り、制作者はわざわざ思い切ったチャレンジはしません。 また、制作者は自分が感じたその会社をできるだけ表現しようとします。なぜなら、ターゲットにそれを知ってほしいから。できるだけ、良いマッチングをしたいから。制作者が作るといっても、やはり制作物には如実にその会社が出るのです。 わざわざ会社に行かなくても、採用ツールから醸し出されるものから、会社を感じ取ることができるのだということです。