東大合格者に「早生まれ」が少ないのは本当? 子どもの発達にあわせて親がサポートできること
「うちの子は発達が遅い?」そんな不安を抱えた親御さん、多いのではないでしょうか? しかし、子どもの発達はそれぞれ違うということを忘れてはいけません。学校や塾のカリキュラムは画一的であり、すべての子どもに合うわけではありません。大切なのは、子どもの発達段階に合わせたサポートをすることです。精神科医の和田秀樹さんが語ります。 【マンガ】集中力が高い子ほど、乳幼児期に体験している「フロー状態」とは? ※本稿は和田秀樹著『勉強できる子が家でしていること』(PHP研究所)より一部抜粋・編集したものです
学校へ行かないエジソンにお母さんが勉強を教えた
発明王で名を馳せるエジソンは、学校へ行かなかったということでも有名です。しかし、エジソンが勉強していなかったのかというと、そういうわけではありません。エジソンは、お母さんから学校の勉強やその他いろいろなことを教えてもらっていたのです。お母さんに勉強を教えてもらい、自分でも努力した結果、あの数々の偉大な発明が生まれました。 このエジソンのお母さんの熱意ある教育は、いまでも多くの教育学者たちが敬意を払っています。本当は、エジソンに限らず、小さな子どもにとって一番よい先生になれる可能性があるのは親なのです。 言葉も世の中のルールも、みなお母さん、お父さんから教えてもらえば、素直に受け入れていくはずです。そして、そのときに、親から何を教えてもらったのかによって、子どもの成長は変わります。 学校に入るころになると、勉強を含め、いろいろなことを教えてくれるのは学校の先生というようなイメージに変わりますが、それでも、本質的には家庭での先生としての親の役割が終わるわけではありません。親が子どもに何かを教えるということは、子どもが何歳になってもとても重要なことなのです。
子どもの発達の早い・遅いは、家庭でしっかりと認識する
就学前の子どもの様子を思い出してみてください。「おかあさんへ、おとうさんへ」と、手紙を一生懸命に書いてくれた姿。一から百まで一緒に数えられた日。虫や鳥や、はたらくくるまなど、大好きなものの名前を覚えられたとき...。何かができるたびに、うれしそうな姿を見せてくれたのではないでしょうか。 本来、子どもにとって知らないことを覚えること、すなわち学びは大好きで楽しい体験のはずです。ところが、学校へ通うようになると、多くの子どもが「勉強嫌い」になっていきます。なぜでしょうか。 これは、学校で学ぶようになって初めて、「先生の言っていることがわからない」という体験を味わうからといえるでしょう。問題は、「わからない」ことではなく、「まわりのお友だちがみんなわかっているのに、自分だけわからない」という点にあります。 でも、どうして同じ授業を受けているのに、わかる子と、わからない子が出てきてしまうのでしょう。 確かなことは、子どもたちの発達には差があるということです。子どもの発達は、それぞれ違います。ところが、学校や塾のカリキュラムは、個々の能力に合わせて作られていません。そのため、発達の遅い子はもちろん、発達が早い子にとっても、最適な学習内容とは言えないのです。 「発達の早い・遅い」とは、何か――。小学一年生の発達を例に、具体的に説明していきましょう。4月生まれの子と3月生まれの子がいたとします。学年は同じでも、およそ1年の月齢の違いがあるため、身体的にも精神的にも、その成長の程度には大きな差が出てしまいます。 4月生まれの子は発達が早い分、比較的身体は大きく足も速い、学校の勉強も理解ができて「自分はできる」と思いながら成長していきます。一方、3月生まれの子は発達が追いついていないわけですから、まわりの友だちと比べても身体は小さく、運動能力も理解力も劣りがちです。「自分はできない」という劣等感が植え付けられてしまうこともあるでしょう。 月齢による能力差は成長とともに縮まっていくものなので、焦らずに成長を待ってほしいと思いますが、一方で東大合格者には、4月・5月・6月生まれが多いとも言われます。早生まれと遅生まれで、もともとの能力に差があるわけではないのに、「東大合格」というはっきりとした知的能力の差が生じているのはなぜなのでしょう。 これには、子どものころの自己肯定感が関係していると考えられます。ですから、子どもに「自分はできない」と思わせては、絶対にいけないのです。「どうせ何をやって無駄」と考えるようになってしまうと、勉強嫌いになるだけでなく、自己肯定感の低いまま成長していくことになってしまいます。 子どものころに育くまれた自己肯定感は、大学受験や社会に出てからも、その子を力強く支えてくれる土台となります。子どもには、「必ずわかるようになるから大丈夫」と伝えてあげましょう。無用な劣等感を払しょくしてあげることが、勉強嫌いにならず、自信をもって人生を歩んでいくためにも必要なことといえます。