西城秀樹さん63歳で逝去後も人気衰えず…少年時代、廊下に立たされた同級生に「一緒に職員室に謝りに行ってやるけぇ」
中学時代、山口県岩国市の米軍基地でもバンドで歌っていた。英国のレッド・ツェッペリンが1971年、たっての希望で被爆者へのチャリティー公演を広島で開くと、秀樹も会場に駆けつけた。 中国などアジアを巡る教科書問題が起きた82年、ライブ先の香港で、現地メディアに問われた秀樹は「原爆が落とされた広島の出身だからこそ、平和への思いは強く、海を越えて愛の歌を歌っている」と訴え、拍手を受けたという。
病を得た後も、ステージに立とうと家族の支えでリハビリを続け、苦悩や葛藤を著書「ありのままに」につづった。「飾らず、隠さず、気どらず、そのままの自分でい続けることが一番かっこいい、と今のぼくは思っている」。秀樹の歌は、燃やし続けた一生一度の命そのもの。だから今も、人々の心をとらえて離さない。(西堂路綾子)