【競輪父子鷹】関係は“親子”から“師弟”に「涙の誓約書」から15年、郡司浩平の父・盛夫さんの溢れる思い
◆netkeirin特別企画 競輪父子鷹 part2
陥落してわずか50日でS班に復帰した郡司浩平。前編では“師匠として”の目線から見た郡司浩平の姿を語ってもらったが、後編では“父親として”の目線から見た姿を語ってもらった。父でもあり師匠でもある、郡司盛夫(引退=50期)の父の顔とは…。(取材・構成:netkeirin編集部)
野球は続けるつもりはないと競輪界へきた郡司浩平
ーー郡司浩平選手の子どものころはどんな性格でした? 郡司盛夫(以下:盛夫) 小っちゃい、幼稚園くらいの時はおちゃらけているようなタイプ。お兄ちゃんと違ってね(兄・涼平、浩平、妹・麻央の3人兄妹)。野球をやるようになってから、物事をしっかり見るようになりました。 ーー兄弟で違いますか? 盛夫 お兄ちゃんにも「自転車乗ってみれば?」と言ったことあるんです。素質はお兄ちゃんの方があったと思う。でも性格的に一気に上がって下るタイプ。浩平はコツコツやるタイプで、大崩れとかしないな、と。友だち関係、人脈とかにもつながって実を結ぶ感じ。柔軟体操もお兄ちゃんはすぐにやらなくなったけど、浩平はお風呂上りにしっかりと続けていた。その辺は言わなくても、やっていましたね。 ーー浩平選手は高校野球をやっていたと思いますが、そっちへは進まなかった? 盛夫 才能はあった方だと思います。守備でも運動能力はちょっと違うなと感じた。バッティングもそこそこは打てていたけど、体がないから進路を決める時に野球を続けるつもりはない、と。それでこっち側(競輪)に来た。 ーー競輪に体の大小は影響ないんですか? 盛夫 競輪は、自分に合った自転車でやるものだからね。やるにあたって誓約書を書いてもらったりしたけど、やるということに関してはうれしかったよ。
初めて見た、郡司浩平の涙…
ーー誓約書の紙の重みが… 盛夫 あの時は、泣きました。俺じゃなくて、浩平がね。なんで泣いたのかは分からないけど…。 ーー浩平選手が泣いているのを見たことは…? 盛夫 涙を流しているのを見たのは誓約書を書いている時が初めてだった。 ーーそういう関係がつらかったりとかはありましたか? 盛夫 あの時は俺もジーンときたんだけど、俺も覚悟を決めていたから。まだ48歳くらいでS級にいた時で、もう俺はいつやめてもいいから浩平だけは選手にさせなきゃ、って思っていたよ。