「嫁はんは宝物」多発性骨髄腫で闘病中の宮川花子と夫・宮川大助。車椅子を押して舞台へ。ネタ合わせなし、座ったままでも漫才を続けたい
◆90歳と85歳の現役漫才師として舞台に 花子:リハビリも必死にやってるんですけど、やった途端に倒れたり、振り出しに戻ったり。心が折れかけたこともあったんですけど、漫才という天命をいただいておりますので、それをやることで命をつないでいます。ホンマにありがたいことです。 私ももう古希ですしね。ま、あと、なんぼ長く生きても40年です。どんだけ生きんねんって(笑)。 ただ、今思っているのが大助君が90歳。私が85歳。その年齢で現役漫才師として舞台に上がる。それができたら純粋にカッコいいと思いますし、その時にしか出ない味もあるんと違うかなと。90歳の大助君が「あわわわ…」と言葉が出なかったら、いよいよ、ネタかマジか分からんようになるでしょうしね(笑)。 大助:僕はその頃は認知機能の衰えもすさまじいやろうし、冒頭のボケで「大谷翔平です」と言ったら、ホンマに自分は大谷翔平やと思ってるかもしれません(笑)。 花子:正直な話、今も抗がん剤は止めてないし、元気になってるわけでもないんです。だけど「その年齢までそんなことができていたら」と思うだけで力が出ます。そして、何よりね、お客さんの声をもらうと、これ以上ないくらい元気が出ます。
◆これがホンマの「THE(座)MANZAI」 大助:今はね、漫才といっても、ネタを作ってないんです。嫁はんがしゃべりたいことをしゃべる。それに対して、僕が答える。今まで何十年とネタを書いてきましたけど、今、初めてやるスタイルに入ってます。 僕が嫁はんの車いすを押して舞台に出ていくことにも最初は賛否ありましたけど、それも含めて新しい漫才になるかもしれない。今の僕らだからこそできることがある。そう思うとね、全てが捨てたもんじゃないし、楽しくもなるんですよね。 花子:その舞台がね、ホンマに楽しいんです。もちろん漫才ですからお客さんに笑ってもらうためにやるんですけど、本当に自分が感じていることだけを話しています。 大助:これもね、嫁はんが体力がないからネタ合わせができない。だからこその方法でもあったんですけど、これがまたウケるからありがたいことですわ。 フラッと出会った二人のうだ話。それを漫才とするならば、今が一番リアルな漫才だとも思います。 …ま、ただね、それでもいざこざが起こることもありますよ。薬でしんどい時もあるし、心も体も大丈夫な時のほうが稀ですから。でもね、結局、嫁はんも僕しか当たるところがないんやし、それはそれでね。ま、そんなもんですわ。 花子:…。 大助:漫才でも、講演でも、トークでも、とにかくうちは嫁はんのトークがバカ受けしますから。それがウチの一番の武器です。マネージャーにも「そこを最大限アピールして仕事を取ってきて」と言ってます。 1980年頃の漫才ブームを生んだ「THE MANZAI」という番組で多くの方に知ってもらいましたけど、嫁はんは車いすで、僕はいすに腰かけてやるスタイル。ここにきて、これがホンマの「THE(座)MANZAI」やとも思ってます。 花子:たまにはエエこというやないの!それはきっちり大きい声で言うとき。ほんで、ここだけ太字で書いといてあげてもらえますか(笑)。 ■宮川大助・花子(みやがわだいすけ・はなこ) 1949年10月3日生まれで鳥取県出身の宮川大助(本名・松下孝美)と54年8月28日生まれで大阪府出身の宮川花子(本名・松下美智代)のコンビ。三菱電機などでサラリーマンを経験した大助が72年、宮川左近に入門。コンビ「大助・小助」を組んだが、3年で解散。芸人を廃業し入った新たな職場で、大阪府警、「チャンバラトリオ」の弟子を経てその職場に行った花子と出会い、76年に結婚。同年、夫婦漫才コンビ「宮川大助・花子」を結成した。上方漫才大賞、上方お笑い大賞、文化庁芸術選奨 文部科学大臣賞大衆芸能部門、紫綬褒章など受賞、受章多数。先月、夫婦での共著「なにわ介護男子」を上梓した。
宮川大助・花子,中西正男