「30億の借金を抱えても前を向き続けた」作家・細田昌志が見た力道山未亡人の姿
◇「馬場がエリート、猪木が雑草」は間違いだった 『力道山未亡人』では、田中敬子の口から語られたエピソードや、新聞や雑誌で残された記述から、田中敬子の夫・力道山という人物にも注目した。紐解いていくなかで、細田は彼女らのどのような一面を垣間見たのだろうか。 「相模湖周辺に大型レジャー施設の建設を実現すべく、5つの会社を同時に経営するなど、力道山はビジネスマンとして異常に頭がいい人物です。そして、相撲界に入ったときに彼が体験した、“朝鮮人に対する差別と偏見”は、おそらく僕たちの想像を絶するものなんだろうということもわかりました。それが彼のビジネスへの原動力になっていたと思います」 この本では、力道山と、その付き人であったアントニオ猪木の関係性についても詳しく語られている。世間がイメージする猪木の立ち位置とは、また違ったようだ。 「“力道山には殴られたり蹴られたりして、ひどい目にあった”という猪木さん自身の発言もあり、当時はジャイアント馬場がエリート扱いされ、猪木は雑草として扱われたという印象が世間的にはついていると思いますし、僕自身もそう思っていました。ただ、敬子さんの話を聞いたり、当時の状況を読んだら、猪木さんこそエリートだった、という結論に達したんです。 例えば、同じく日本プロレスだった大木金太郎さんのコメントや証言を読むと、力道山と同じ朝鮮半島出身であっても、冷淡な扱いをされている。そういう冷遇された兄弟子たちのジェラシーは、馬場さんではなく猪木さんに向いていたんだと思います。 猪木さんは力道山について、自伝で“気に入らなければ3年も付き人をさせないだろう”と、自分が力道山から愛情を受けていた自覚があったことを吐露しています。だからこそ、“ひどい目にあった”という発言をした理由もおのずと理解できました。自分が特別扱いだったことを理解していたからこその言葉だったんです」 ◇この子たちを路頭に迷わせたくないと決断 田中敬子は力道山との半年の結婚生活で先立たれ、その後、一度も再婚することなく、力道山について今でも語り継いでいる。このような人生を選んだ理由とは。 「力道山が残した多額の借金の返済に追われていたので、再婚が難しかった、というのはあるでしょうね。それでいて、敬子さんを守っていたのが一筋縄じゃいかない方々ばかりだったわけで、その関係はずっと切れずにいたんだろうし。むしろ、そういう人たちがいなかったら、もっとボロボロにされていたんじゃないかな、と」 借金の状況に加え、自身の産んだ子ども1人と、力道山の前妻の子どもが3人。22歳という若さで一人で育てることになった田中敬子。そのなかで30億もの負債を前に、負債を投げ出すことは連れ子を投げ出すことと同じと捉え、“この子たちを路頭に迷わせたくないから、全部ひっくるめて引き取る”と決断した。 「たしかに、普通の人であれば投げ出しちゃいますよ。でも、敬子さんと話していると“この人ならそう言いそうだな”と思いました。自分の頭脳に自信があったのは無視できないと思います。英語論文で優勝したり、JALに受かるくらいですし。それから“私一人でも返せる”って普通の人が考えられないような発言ができる豪胆さと、ある種の呑気さも持ち合わせている。語られるべき方だなと思います」 最後に、『力道山の未亡人』という壮絶な人生を送った女性をテーマにした今作は、どんな層に届いてほしいかを聞いた。 「もちろん、昭和のプロレスが好きだった方、力道山の世代の方も読んでほしいんですけど、今回は女性の物語なので、女性の方に特に読んでほしいです。シングルマザーや貧困に悩む女性も多い現代だからこそ、こういう人生の向き合い方もあるんだというのを知ってほしいです」
NewsCrunch編集部