「30億の借金を抱えても前を向き続けた」作家・細田昌志が見た力道山未亡人の姿
綿密な取材で、その人物のリアリティな部分を映し出す作風が話題を呼んでいるノンフィクション作家・細田昌志。これまで『ミュージシャンはなぜ糟糠の妻を捨てるのか』(イースト・プレス)、講談社本田靖春ノンフィクション賞を受賞した、“キックの鬼”沢村忠のプロモーター・野口修の評伝『沢村忠に真空を飛ばせた男 / 昭和のプロモーター・野口修評伝』(新潮社)など、意欲作を発表してきた。 そんな細田が、今回の新刊でテーマに選んだのは力道山の最後の妻・田中敬子。発売後、増刷となり各所で話題となっている『力道山未亡人』(小学館)。ニュースクランチは、同著を執筆することになったきっかけやノンフィクション作家としての矜持を聞いた。 ◇大物作家の一言からつながった力道山未亡人との縁 力道山というと現代では偉人のような存在で、存命時を知る人は限られてくるだろう。『力道山未亡人』の著者である細田も、力道山という存在は知っていてもテレビで応援していた世代ではない。力道山の妻であった田中敬子について執筆するきっかけとなったのは、ある人物の一言だったという。 「前著『沢村忠に真空を飛ばせた男』を書いていたときに、作家の安部譲二さんの自宅に取材に行ったときの会話が直接のきっかけです。そのときに、安部さんから“次は誰をテーマに執筆するの?”と聞かれたんです。そういう質問は会う人会う人に必ず聞かれるので、その場で思いついた人を適当に答えたり、実際にずっと興味がある人を答えたりしていました。 安部さんには、僕がずっと興味を持っているスポーツ選手にまつわる騒動を書きたいという話をしたんですが、そこには興味を示さず“田中敬子さんを書いてみないか?”と仰ったんです。 安部さんいわく、敬子さんとは古い付き合いだそうで、“どうして力道山と結婚して、たった半年間の結婚生活で死別して、その後60年間、なぜ再婚しなかったのか、個人的に知りたいから、代わりに聞き出してくれ”と言われました。 僕はプロレス・格闘技専門チャンネルで情報番組キャスターをやっていたこともあるくらい、格闘技が好きですし、子どもの頃、昭和のプロレスが大好きでした。だから、田中敬子さんのことはもちろん、昔から名前も存在も知っていたんですけど、その話を聞かされるまでは、そんなに関心がなかったのが正直なところでした。 でも、よく考えてみれば、22歳で未亡人になって、しかも半年間しか結婚生活がなかったっていうのは、客観的に見ても悲劇なわけじゃないですか。それでいて、たった半年間の結婚生活を60年間ずっと語り継いでおられる。“この人の人生はなんだろう?”って急激に興味が湧いてきたんです」 その方の一言で、敬子さんに関心を寄せ始め、どんな形で取材していくかを探っていった。 「敬子さんが今まで書かれた記事や著書は、それらのすべてが“力道山からの視点”なんです。それでいて、僭越ながら、敬子さん自身も“力道山から見た田中敬子”を演じ、その立ち位置に安住しているようにに思えました。視点を変えると全く違う風景が見えてくるので、ノンフィクションでは“田中敬子視点での田中敬子、力道山”を書きたいと思って、執筆のテーマが定まった感じです」 今まで全く関わりのなかった細田と田中敬子との縁。それは不思議な形でつながっていく。 「ところが、紹介してくれると約束していた安部譲二さんが鬼籍に入られてしまったんです。ツテがなくなってしまって、“困ったな……”と思っていたら、たまたま『沢村忠に真空を飛ばせた男』を読んでくださって、僕に会いたいという方がいらしたんです。 その方からも“次は誰をテーマに書くんですか”と聞かれたので、“田中敬子さんです”と答えたら、“え? 田中敬子さんって、あの力道山の妻だった田中さん? 俺、知り合いだよ!”って、まさかのご友人だったんです。その場で敬子さんに電話してくださって、縁がつながりました」 原稿を書き進めるにおいて、長い対話をしてきた田中敬子という人物に、細田はどのような印象を抱いたのだろうか。 「これは愛情と尊敬を込めて評しますが、とっつきやすいおばあちゃんです(笑)。一番最初にお会いしたのは、紹介してくださった方と敬子さん、私でランチを食べに行ったときでした。そのときは、恵子さんが何人かの関係者を連れて来ていて、“ちょっと人見知り的なところがあるのかな?”と感じました。 でも、実際に深く話を聞いていくと、饒舌で頭の回転が速い。ご高齢なのに、かなり昔の記憶もすぐ思い出せていました。柔らかさのなかに理知的な部分が同居している敬子さんの雰囲気は、彼女が働かれていたJALでの客室乗務員(CA)の経験が形作っているんだと思います。CAさん特有のキビキビしているけど優しい、そういう感覚に近いです」 ◇入念な下調べと緊張をほぐす雰囲気作りが武器 本書を読み通すと、筆者である細田に当時のエピソードや感情を詳細に伝え、かなり心を開いているように伺えた。 「ありがとうございます。良くも悪くも相手の緊張感をなくすのが得意なんですよ(笑)。それで軽く見られることも多いんですが、取材においてはそれが武器になっているかもしれないです。例えば、いわゆるヤクザの親分のような、普通であれば怖い方々を相手に取材するときも、スーッと入っていけるんです。飄々としているからでしょうね。 特にご高齢の方は、話したいことはたくさんあるけど、普段なかなか話す機会がない、という方も多い。敬子さんは、僕らと一緒にいるときは華やいだ雰囲気で、よく喋るご高齢の婦人という印象ですけど、恐らく普段はそれほど話すこともなくて、その意味では、孤独だと思うんです。そういう方の懐に入って“誰かに話したかったこと”を聞いている感覚です」 力道山を取り巻く世界を、プロレス界や闇社会など、多くの視点から描いているのも特徴的だ。数多くの取材経験を重ねている細田の心得はどのようなものなのか。 「これは当然のことですが、取材の際はインタビュー相手のことを事前にしっかり下調べした状態で挑んでいます。敬子さんはかなり覚えてらっしゃる方でしたが、長く人生を歩まれていらっしゃる方の場合、古い記憶で忘れていることも多いので、それをしておかないと取材自体が成立しないというのはありました。 また、執筆するときは相手が、どの程度“盛って”話しているかを見極めて、相手が言っていることと事実が異なる場合、できるだけ事実に沿うように書いています。“これはウソだろうな……”という部分も、文章の前後によってはカギ括弧で表現して、あとは読者の判断に委ねることもあります。 そうしないと、ノンフィクションとしての体裁が整わないし、そもそもノンフィクションは本当のことを書かないとつまらないじゃないですか。批判として捉えてほしくないんですけど、あるノンフィクション作家の先輩は相手の言った通りのことを書くのが定番です。 でも、少し調べればそうじゃないこともわかるんです。それから、書き手が専門以外のジャンルに詳しくないことがほとんど。それが読者として歯がゆかったので、自分自身でノンフィクションを書くときは、そのテーマ以外のジャンルも横断して、フラットな視点を持って書くようにしています」