バークレーが兄貴分と慕っていた好漢マローン。同世代のマジックやバードとは一線を画した異色のヒーロー【レジェンド列伝・後編】<DUNKSHOOT>
30代半ばにさしかかる頃には、オラジュワンやロビンソン、パトリック・ユーイングら新世代のセンターたちに押され始めた。控えに格下げされ、得点は1桁にまで落ち込んだ。 それでもなお、マローンはコートに立ち続けた。8年ぶりにシクサーズに戻った93-94シーズンは55試合すべてベンチ出場、プレータイムは10分程度でも、与えられた仕事をこなして元MVPのエゴは微塵も感じさせなかった。最後はサンアントニオ・スパーズに在籍し、1207試合連続ファウルアウトなしの記録を継続したまま、40歳で引退した。 20年近くも第一線に居続けられたのは、70~80年代のNBAを蝕んでいた麻薬と無縁だったこともある。 「あの頃はどこへ行ってもクスリがあったけど、絶対に手を出さなかった。タバコさえ吸わなかったのにクスリなんてとんでもない。身長が高いんだから、それ以上“ハイ”にならなくてもいいんだ(笑)」 マローンの活躍にもかかわらず、その後もNBAでは高卒のスター選手は長い間現われなかった。ケビン・ガーネットが成功して以降、コビー・ブライアントやレブロン・ジェームズが続いたが、元デューク大の名将マイク・シャシェフスキーは「リーグ全体が若くなった今と違って、モーゼスは周囲が大人ばかりの環境に飛び込んでいった点が違う」と指摘している。 同世代のラリー・バードやマジック・ジョンソンに比べ華やかさには欠けたマローンだが、彼のようなブルーカラータイプのヒーローがいたからこそ、NBAはより多彩で魅力のあるものになったと言えるだろう。 文●出野哲也 ※『ダンクシュート』2012年8月号原稿に加筆・修正