バークレーが兄貴分と慕っていた好漢マローン。同世代のマジックやバードとは一線を画した異色のヒーロー【レジェンド列伝・後編】<DUNKSHOOT>
■アービングとコンビを組み念願のチャンピオンに輝く 個人としては頂点を極めたマローンにとって、残る目標はチームとしての勝利だけだった。ロケッツは81年にファイナルに進出したが、レギュラーシーズンは40勝42敗と負け越しており、事実上マローンのワンマンチーム。彼1人の力で勝つには限界があった。 【動画】シクサーズ加入初年度から躍動したマローンの1982-83シーズンハイライト! 1982年オフ、制限付きFAとなったマローンはフィラデルフィア・セブンティシクサーズが提示した6年1320万ドルのオファーシートにサインする。ジュリアス・アービングやアンドリュー・トニーらを擁し、前年もファイナルに出ていたシクサーズなら、マローンの夢を叶えるだけの戦力があった。一旦はオファーにマッチしたロケッツも、マローンの移籍の意志が固いと判断して結局はトレードに応じた。 優秀な選手のひしめくチームに移り、マローンの個人成績は多少ダウンしたが、そんなことを気にするはずもなかった。「金は十分に稼いだ。でも優勝は金じゃ買えない。今欲しいのはそれだけだ」 それでもなお平均24.5点、4度目のタイトルとなる15.3リバウンドは、3度目のMVPを手にするには十分な数字だった。 何より、 現役最高のセンターが加わったシクサーズは完璧になった。レギュラーシーズンをリーグ最多の55勝で終え、ポストシーズンの抱負を訊かれたマローンは答えた。「fo’ fo’ fo’」――― 4、4、4、すなわち各ラウンド全勝での優勝宣言だった。 傲慢とも受け取れるこの予告は、もう少しで実現するところだった。1回戦はニューヨーク・ニックスをスウィープ、カンファレンス決勝でミルウォーキー・バックスに1敗したものの、ファイナルではロサンゼルス・レイカーズに4連勝。平均26点、18リバウンドと大暴れしたマローンが、ファイナルMVPに選ばれたのは当然だった。 ■晩年はチームメイトにビッグマンの極意を伝授 マローンは決して付き合いやすいタイプではなく、チームメイトともコート外では距離を置いていたし、メディアに対する態度もそっけなかった。地元紙の記者がインタビューを申し込んだ時 「300ドルならOKだ」と言ったこともある。金が欲しかったわけではなく、拒絶するのが目的だったのだ。 だが、84年にシクサーズに入団したチャールズ・バークレーは、誰よりもマローンを兄貴分として慕っていた。「モーゼスはずっと俺を見守り続け、話し相手になってくれた。彼がブレッツ(現ワシントン・ウィザーズ)へトレードされた日は、俺の人生で一番悲しい日だった」とまで言っている。アキーム・オラジュワンもマローンに弟子入りし、センターとしての極意を伝授された。とっつきは悪くても、本質は人間味にあふれていたのだ。