【毎日書評】「ふつうの暮らし」を観察することで見えてくる「日常美学」のすすめ
花の機能を知らなくても美しさを感受できるわけ
ところが近代に入ると、美とそれ以外の価値をしっかり区別する発想が強くなってきたそう。むしろ美はそれ自体固有の価値であって、生活その他の領域とは重ならないものであると示すことで初めて、「美学」という学問領域が広義の哲学から独立して存在することが可能になったということ。 たとえばエドマンド・バークは『崇高と美の観念の起源』(一七五七年)における議論において、「飛ぶという機能を満たさないのにもかかわらず美しい孔雀の羽」「穴を掘って食べ物などを探すという機能にはぴったり適しているのにもかかわらず美しくない豚の鼻」を事例としながら、美と有用性の必然的な結びつきを否定します。 そして、近代における美学という学問の成立の立役者の一人となったカントの説において、美と機能との切り離しの理論化はさらに進んだと言うことができるでしょう。 カントは、美とは通常、その対象がどんなものであるかの観念を抜きにして把握される価値だと主張しました。(62~63ページより) それは、無関心性という特徴づけのこと。たとえば私たちが花を見るとき、一般的にはその花がどのような目的に奉仕しているかは考えず、その色や形自体を眺めることで美を感受することになります。花は植物の生殖器官ですが、わたしたちは花の美を感じるためにそうした知的な理解をする必要はないわけです。 このように、「これは机である」というような通常の認識のモードと、「花は美しい」と感じる美的判断のモードとを区別したことは、カント美学の核をなす発想だといいます。 たしかに私たちは美を感じるとき、目の前にあるものが<なんであるのか>を判断する必要はありません。たとえ花の機能を知らなくても、その色や形から美しさを感受できるということです。(63ページより) 本書が目指すのは、「日常生活をよりよいものにしていこう」という型どおりの提案や、いわゆる「ていねいな暮らし」の推奨ではなく、あくまで日常生活を見つめるためのことばを得ること。それは、いまある等身大の生活を繊細に観察することで得られるものだそうですが、たしかにそうしてみれば、自分では普通だと思っていた生活にも新たな魅力を感じ取れるようになるかもしれません。 >>Kindle Unlimitedの3カ月無料キャンペーン【7/17まで】 「毎日書評」をもっと読む>> 「毎日書評」をVoicyで聞く>> Source: 光文社新書
印南敦史