リスクが高い? 10代で欧州移籍した日本人選手6人。若くして険しい茨の道を選んだ逸材たち
FW:森本貴幸(もりもと・たかゆき)
生年月日:1988年5月7日 移籍時期:2006年7月(18歳) 移籍:東京ヴェルディ→カターニャ(イタリア) 森本貴幸ほどロマンに溢れた選手は、日本サッカー界の中でもそういないだろう。 2004年、まだ中学生だった森本が世間に衝撃を与えた。東京ヴェルディ1969(現・東京ヴェルディ)を率いていたオズワルド・アルディレス監督(当時)によってトップチーム帯同が認められると、3月のジュビロ磐田戦でJリーグ史上最年少公式戦出場記録(15歳10ヶ月6日)を樹立。高校に入学して間もない同年5月のジェフユナイテッド市原(現・ジェフユナイテッド千葉)戦では、J1史上最年少得点記録(15歳11ヶ月28日)をマークした。 18歳だった2006年7月には、セリエA(イタリア1部)に昇格したカターニャへと期限付き移籍。親しみやすい人柄も相まって瞬く間にシチリア島の人々のアイドルになると、同クラブでは2013年の退団時まで公式戦通算98試合に出場して20得点8アシストを記録した。 若くしてセリエAに挑戦した森本を苦しめたのは、度重なる負傷だった。両ひざに負った大怪我によって、次第にプレーの精彩を欠くようになったのは不運以外の何物でもない。慢性的なコンディション不良は、瞬間的なスピードで相手を振り切る森本のプレースタイルに深刻な影響を与えた。 それでも、イタリアの人々は森本の残映をとどめていたようだ。2023年8月にセリエDのアクラガスに加入した際には、イタリア紙『ガゼッタ・デロ・スポルト』が「『ベイビー・ロナウド』と呼ばれて18歳でシチリアに来た“日いずる国のインザーギ”」と森本を紹介。中田英寿に次ぐ日本人選手2位の数字となるセリエA通算104試合19得点9アシストをマークした男の10年ぶりの帰還を懐かしんだ。
FW:宇佐美貴史(うさみ・たかし)
生年月日:1992年5月6日 移籍時期:2011年6月(19歳) 移籍:ガンバ大阪→バイエルン・ミュンヘン(ドイツ) ガンバ大阪ユースが生んだ“最高傑作”。2008年11月にJリーグ史上初となる高校2年生でのトップチーム飛び級昇格が決定した際、宇佐美貴史は周囲からそう形容されていた。 2011年6月には、さらに世間を驚かせる出来事が起こる。ブンデスリーガ(ドイツ1部)のバイエルン・ミュンヘンが、完全移籍のオプション付きとなる1年間の期限付き移籍で宇佐美を獲得したのだ。19歳の日本人選手が世界的な名門に加入するという事実は、当時多くのファンを熱狂させた。 しかし、夢を抱いてドイツに渡った若武者は大きな壁に弾き返された。当時のバイエルン・ミュンヘンにはフランク・リベリーやアリエン・ロッベンといった超一流選手が在籍しており、経験の浅い宇佐美がポジション争いに割って入るのは容易なことではなかった。結局、2011/12シーズンは公式戦5試合の出場に留まり(1得点0アシスト)、クラブが完全移籍のオプションを行使しなかったために1シーズン限りでの退団が決定した。 10代でハイレベルな環境に身を置くことができた宇佐美だったが、当時のバイエルン・ミュンヘンはあまりに“ハイレベルすぎた”のかもしれない。伸び盛りの19歳には、何よりも出場機会が必要だった。 バイエルン・ミュンヘン退団後、宇佐美はホッフェンハイムやアウクスブルク、デュッセルドルフを渡り歩き、現在は古巣のG大阪でプレー。2023シーズンからはキャプテンに就任し、レジェンドの遠藤保仁が使用していた背番号「7」を継承した。ドイツの地で挫折を味わった男は、ユースから在籍した“心のクラブ”を力強くけん引している。