リスクが高い? 10代で欧州移籍した日本人選手6人。若くして険しい茨の道を選んだ逸材たち
FW:久保裕也(くぼ・ゆうや)
生年月日:1993年12月24日 移籍時期:2013年6月(19歳) 移籍:京都サンガF.C.→ヤングボーイズ(スイス) 久保裕也が初の欧州移籍に踏み切ったのは19歳の時だった。 京都サンガF.C.のユースで育成を受けた久保は、2010年8月には高校2年生で2種登録選手としてトップチームに登録。2011年4月のファジアーノ岡山戦でプロ初出場を飾り、Jリーグ初先発初ゴールを記録した。同年12月に翌年のトップチーム昇格が発表されると、来る2012シーズンの序盤戦は先発起用される機会も多かったが、中盤戦以降はベンチスタートやベンチ外が続いた。 久保にとって潮目が変わり始めたのは2013年だった。J2開幕から主にスーパーサブとして16試合に出場すると、チームトップの7得点をマーク。2013年6月にはスイス・スーパーリーグのヤングボーイズに完全移籍で加入することが発表された。 加入初年度の2013/14シーズンは、リーグ戦開幕からの10試合で3得点2アシストとスタートダッシュに成功。2013年8月にはスイス紙『ブリック』が「リーグの新しいスター」として久保を紹介するほどの鮮烈な活躍ぶりだった。最終的に、同シーズンはリーグ戦34試合で7得点5アシストをマーク。先発出場は5試合に留まったが、試合終盤の切り札として結果を残した。ヤングボーイズ退団後、久保はヘント(ベルギー)とニュルンベルク(ドイツ)でプレー。現在はシンシナティ(アメリカ合衆国)に在籍している。 10代の欧州移籍には様々な難しさがつきまとうものだが、若かりし久保はスイスの地で浮足立つことなく、着実に成果をあげてみせた。ドイツ語など3カ国語が飛び交う環境にも物怖じせず、ひたむきにサッカーと向き合うストイックな姿勢が、久保の海外生活を支えていたのだろう。
FW:伊藤翔(いとう・しょう)
生年月日:1988年7月24日 移籍時期:2007年1月(18歳) 移籍:中京大中京高校→グルノーブル(フランス) 今でこそ「高校卒業→欧州クラブ移籍」というケースは珍しくなくなったが、その先駆者となったのが伊藤翔だ。 中京大中京高校のキャプテンを務めていた伊藤は、2006年8月にプレミアリーグ(イングランド1部)の強豪アーセナルのトライアルテストへ参加。アーセン・ベンゲル監督(当時)にティエリ・アンリに喩えられて賞賛されたことから、“和製アンリ”として一気に注目度を高めた。 2007年1月には、日本サッカー界の歴史が動く。全国高等学校サッカー選手権大会終了後、18歳の伊藤はグルノーブルと契約。Jリーグクラブを経由せずに直接欧州クラブとプロ契約を結んだ初めての選手となった。 しかし、伊藤はフランスの地で辛酸をなめることになる。加入初年度の2006/07シーズンにリーグ戦わずか1試合の出場に終わると、2007/08シーズンも3試合のみの出場に終わる。グルノーブルが1部昇格を果たした2008/09シーズンに至っては、公式戦出場の機会が全くなかった。2009/10シーズンもリーグ戦1試合の出場に留まると、2010年6月には清水エスパルスへ完全移籍。逆輸入の形でJリーグに初参戦し、欧州での戦いに区切りをつけた。 リーグ2(フランス2部)やリーグ1(同1部)下位が主戦場だったグルノーブルでは、経験の少ない若手の伊藤に与えられるチャンスは数少なかった。結果論ではあるが、安定的に出場機会が得られるような環境を選んでいれば、伊藤の欧州挑戦はまた違った内容になっていたかもしれない。「高校卒業→欧州クラブ移籍」の先例を作った男は、グルノーブル退団以降一度も欧州クラブへの移籍を実現できていない。