関東一vs.帝京、40年におよぶライバル物語の第2章! 守りの差で関東一が勝利!【24年夏・東東京大会】
<第106回全国高等学校野球選手権東東京大会:関東一 8-5 帝京>29日◇決勝◇明治神宮野球場 【トーナメント表】東東京大会 結果一覧 1983年、帝京が夏の甲子園大会初出場を果たした時、東東京大会の決勝で対戦したのは関東一だった。2年後、関東一が初出場を果たした時、東東京大会の決勝戦で対戦したのは帝京だった。当時帝京は前田三夫監督、関東一は後に日大三の監督になる小倉全由監督。以来2人の名将の対決が東京の高校野球を盛り上げてきた。 現在、関東一の監督は小倉元監督の教え子である米澤貴光に受け継がれ、帝京は前田三夫が3年前に勇退し、教え子の金田優哉が監督を引き継いだ。米澤監督と金田監督が、東東京大会の決勝戦で対戦するのは初めて。ライバル対決の第2章の始まりである。 関東一は昨年の秋季都大会で優勝し、帝京は今年の春季都大会で優勝している。いわば今年の東京の真の王者を決める試合でもある。
関東一は3回表に主将で4番の高橋 徹平内野手(3年)の二塁打などで3-0とリードするが、その裏帝京は5番の富浜 琉心一塁手の3ランなどで4-3と逆転する。富浜の本塁打は観客から驚きの声が出るほど豪快な一発で、打たれた関東一の先発・畠中 鉄心(3年)は、「やばいと思いました」と語る。けれどもすぐに、「いつも通りのピッチングをしました」と畠中は言う。関東一の米澤監督も、「ホームランは仕方ない。以後失点しないことが大事です」と言う。この切り替えが、帝京に行きかけた試合の流れを引き戻す結果となった。
4回表関東一は、この回先頭の7番・小島 想生二塁手(3年)が左前安打で出塁すると、8番・市川 歩遊撃手(3年)のバントは敵失を誘い一、二塁。続く9番・畠中の絶妙の犠打で二、三塁とし、1番・飛田 優悟外野手(3年)の二ゴロで小島が生還し、あっさり同点に追いついた。犠打を決めた畠中は、「自分は打てないので、バントの練習はしっかりやっています」と言う。 関東一は5回表、越後 駿祐一塁手(2年)や熊谷 俊乃介捕手(3年)の二塁打などに帝京の守備の乱れもあって4点を入れる。そして6回表から関東一は畠中に代えて坂井 遼(3年)をマウンドに送る。米澤監督が思い描いていた通りの投手リレーだ。坂井の代わりばな、帝京は7番・城田 陸外野手(3年)が二塁打を放ち、三塁に進んだ後、9番・安部 育規外野手(3年)の中犠飛で1点を返す。そこから坂井は、ギアが入ったような力投をする。9回裏も150キロ近い速球を投げ込み、帝京打線を抑えて、関東一が優勝を決めた。 試合後、主力選手は取材に応じるが、坂井は熱中症の症状があるということで、取材できなかった。猛烈な暑さの中、坂井は必死に投げ続けていた。「本人にはプレッシャーもあったと思います」と米澤監督。優勝が決まって、プレッシャーから解放された瞬間、こらえていた症状が一気に出たのかもしれない。制球がよく、多彩な変化球を駆使する畠中、速球で押し、変化球のキレもいい坂井。両投手を中心とした守りが関東一に勝利をもたらした。2人について米澤監督は、「2人とも違う性格。いいところを学び合ってくれています」と語る。それに大後 武尊(3年)という投手もいる。盤石な投手陣に鍛えられた守備、走塁がある。センバツより、一層強いチームになって甲子園に戻る。活躍が十分期待できるチームだ。