野木亜紀子が『海に眠るダイヤモンド』に懸けた思い 「面白いと思うドラマを作り続ける」
文化遺産の「軍艦島」から、愛しい人々が暮らした「端島」へ。その印象を大きく変えてくれた日曜劇場『海に眠るダイヤモンド』(TBS系)が、ついに最終回を迎える。現代の東京を生きる玲央(神木隆之介)が、忘れられない人・鉄平(神木隆之介/1人2役)にそっくりだと言ういづみ(宮本信子)との出会いから紐解かれていった端島の歴史。 【写真】最終話先行カット 1955年から70年にわたる愛と青春と友情、そして家族の物語がどのような幕引きとなるのか。最終回2時間スペシャルを前に、本作を手掛けた脚本家・野木亜紀子がインタビューに応じてくれた。 『アンナチュラル』(TBS系)、『MIU404』(TBS系)など数々の名作を生み出してきた新井順子プロデューサー、塚原あゆ子監督、そして脚本家・野木亜紀子という黄金チームでの本作。史実をベースにした物語となるからこそ、取材も、撮影も、想像を絶する苦労の連続となったそう。しかし、そんな実直なドラマ作りを徹底したからこそ、これだけ没入できる作品になったのだとうなづくことができた。(佐藤結衣)
ドラマはクイズにあらず。最後まで謎を楽しみながら物語を受け取って
――最終回を目前に滝藤賢一さんが登場しました。お聞きすると、野木さんとのご縁があって実現したとか? 野木亜紀子(以下、野木):賢将(清水尋也)と百合子(土屋太鳳)の息子の役なんですが、滝藤さんなら二人から生まれそうということで、出ていただこうという話に。でも、こういうピンポイント出演のオファーってご本人に話がいく前に事務所に断られてしまうことがあるので、『コタキ兄弟と四苦八苦』(テレビ東京系)の繋がりで、ご本人に直接届くように連絡したら、「あ、もう聞いてます。やります!」って。「え、そうなの? 心配しちゃったよ」って、なんだか空回りしましたけど(笑)。まだ発表される前だったのに、第7話のスポットで一瞬映った姿を見てSNSで「これは、滝藤さんだ!」って気づいていらっしゃる方もいたみたいで。本当に視聴者のみなさんの観察眼ってすごいなって。第8話でリナ(池田エライザ)と誠の乗る船を漕いでいる人が鉄平(神木隆之介)だったっていうのが明かされましたが、あれも、もう第1話の段階で「このシルエットは神木くんだ」って気づいている方もいて。ファンってすごいなと思いました。 ――すごいですね! 私は完全に進平(斎藤工)だと予想していましたし、なんならいづみ(宮本信子)の正体も、第1話の演出を受けてリナかな、いや百合子だな……って。 野木:あはは、素直な感想でありがたいです(笑)。 ――野木さんはX(@nog_ak)もされているので、直接視聴者のみなさんからも声が届いていると思いますが、嬉しかった反響はありますか? 野木:そうですね。端島は廃墟やゴーストタウンというイメージになっていたけれど、実際には生きた島だったわけで。多くの人の生活の場所だったっていうものが少しは伝わるといいなと思っていました。今回のドラマでは1955年からの端島にスポットを当てていますが、戦前戦中はいろいろなことがありました。端島に興味を持ってくださった皆さんがこれを機に、歴史にもさらなる興味を持ってくれればなと思います。 ――SNSによっていろんな人の感想や予想が飛び交うのも、新たなドラマの楽しみ方となってきましたが、野木さんがご覧になって面白いものはありましたか? 野木:「澤田が鉄平なんじゃないか」って予想ですかね。澤田役の酒向芳さん、何歳だと思われてるんだ?って(笑)。 ――新井さんのインタビューでもその話題になりました。「驚いた野木さんからLINEが来た(笑)」と! 野木:若い人たちからすると、自分よりずっと年上の方たちの年齢ってピンと来ないんでしょうね。それと、いづみを演じる宮本さんが、年齢よりすごく若く見えるっていうのもあるのかもしれない。 ――いろいろな考察で盛り上がっていますよね。仕掛けている側としては、どのように見ていらっしゃるんですか? 野木:私は仕掛けてるつもりないんですけどね。「考察ドラマ」として書いたわけではないので。とはいえね、楽しみ方は人それぞれなので、あんまり水を差すようなことは言いいたくないなと思ってます。 ――ミステリー要素があるだけ、と。 野木:そうそう、謎はある。でも、それってどのドラマでも映画でもミステリーっていうのは内包するものなんですよ。映画の『タイタニック』だって ローズに何があったのかっていうのを紐解いていくじゃないですか、あれも謎ですよね。なので私としては、このドラマについても普通にヒューマンドラマを書いてきたつもり。そこにスパイスとして謎がある。連ドラとして、いかに面白くするかっていうことであってね。ドラマってクイズじゃないので「当たった」「ハズレた」って、そこに一喜一憂してしまうのは、どこか本末転倒な気もしていて。楽しみのひとつとなるならいいなとは思いつつ、兎にも角にも、物語を受け取ってもらえたらな、と。