【映像】“松井5敬遠”28年後の馬淵×林対談 5敬遠その後「3年勝てず辞表出した」県外遠征で明徳バスに投石も(第4回)
製作・著作/毎日新聞社
1992年夏の甲子園で明徳義塾が星稜の4番・松井秀喜に取った5打席連続敬遠策。高校野球史に刻まれた戦略などについて、明徳義塾(高知)の馬淵史郎監督(64)と星稜(石川)の当時2年生遊撃手として出場した林和成監督(44)が語る、ウェブ会議システム「Zoom(ズーム)」での高校野球監督対談。第4回は、5打席連続敬遠がその後に与えた影響を振り返った。【構成/毎日新聞社 安田光高】 【写真特集】「松井5敬遠」明徳vs星稜の打撃記録を振り返る
監督になり気づいた「5敬遠」決断の重み
2011年4月に星稜の監督に就任した林監督。現役時代には気付かなかった「5連続敬遠」の決断の重みを知った。 林監督 監督という立場になり、あの試合での馬淵さんの偉大さ、すごいことをされたんだなと思った。ある程度、批判を覚悟の上で徹底された。試合の流れを読み解く目は、勉強しないといけない。馬淵さんから教わったことでもあるので、一歩でも近づきたいなと思いますね。 一方で批判を浴びた明徳義塾は、しばらく甲子園の舞台から遠のくことになる。 馬淵監督 あの試合から3年は勝てなかった。監督の代わり目かな、と思って学校に辞表を出したこともある。周りの目を自然に意識したのでしょうかね。遠征で四国の外に出た時、バスに石を投げられたりしてね。選手たちも嫌な思いをしたんじゃないかな。あれがなかったら、今の明徳もないと思いながらやっていた。 結果が出ず、嫌がらせも受けるなど苦しい時期が続く中、一つの答えにたどり着いた。
馬淵監督 僕は結構、いろんな人から話を聞くタイプですが、あまり良い結果が出なかった。3年間勝てなかった時、やっぱり監督は自分の思い通りにやった方がいいんじゃないかと思った。人の意見を聞いても、自分の思い通りにやっても、いい方向に出るか悪い方に出るか分からない。それなら自分の信念の下、チーム作りをして試合をやったらいいんじゃないかと思うようになった。そこからですね、勝ちだしたのは。迷わなくなりました。