シリア政権崩壊からみえる旧オスマン領国の不幸
■民衆革命がもたらした混乱という現実 ウクライナ戦争は、まさにこうした「民衆革命」という神話から生まれたものだが、ポロシェンコからゼレンスキーという「民衆の大統領」がその後にウクライナにもたらしたものは、今起きているウクライナの混乱であったともいえる。 民衆は、民主主義というイデオロギーに関心は抱かないだろうが、これによって翻弄され殺戮されることはありうるのだということだけは、忘れてはならない。 あの「アラブの春」で倒されたカダフィ(1942~2011年)による独裁政権後のリビアは、今どうなっているのだろうか。実はいまだに混乱の最中にあることは、正しく伝えられていない。ルーマニアやジョージアも、そしてコソボもこれと同じ道をたどることになるのだろうか。
ここで挙げたいずれの国も、シリアを含めて19世紀に崩壊していったオスマントルコの支配地域だったことは、偶然ではない。 要するに、西欧の作り出した国民国家と民主主義という神話の中で、つねに翻弄され苦しみ悶えているのである。そして今ではその宗主国である西欧でさえも、自らの民主主義の機能不全に陥っているといえる。 シリアのアサド政権の崩壊は、今後の不安の材料を提供している。今回、アレッポで起こった民衆反乱が、憎き独裁者アサド政権を崩壊させたという神話を、ここからは語れない。それは、シリア地域が戦後何年も混乱と対立の中にあったからである。
シリアで2度の失脚を経験した60年以上前の大統領アディブ・ビン・ハッサン・アル=シシャクリ(1909~1964年)は、アラブ連合に合邦しようとしているエジプトのナセル大統領(1918~1970年)に、かつてこう警告したという。 「シリア人の50パーセントが自分を国家の指導者であると考え、25パーセントが自分を預言者だと思い、10パーセントは自分が神だと思い込んでいる」(ユージン・ローガン『アラブ500年史』白須英子訳、白水社、2013年、下巻、72ページ)