夫婦同居でも、若年層でも起きる「孤独死」 阪神大震災、仮設住宅発の問題が問うたもの
平成7年の阪神大震災からの復興過程における「予期せぬ災害死」として、当初は驚きをもって受けとめられたのが、仮設住宅で続発した孤独死だった。震災から間もなく30年、神戸の街は変貌を遂げたが、孤独死からの復興は果たされたのか。その経過をたどる。 ■探った背景事情 「おかしなことが起きているな、と思いました。医者の常識が通用しなかった」 神戸市西区の住宅街に内科・小児科クリニックを構える医師の伊佐秀夫(73)は震災当時の仮設住宅での診療経験をこう回想した。 孤独死-。地元紙の神戸新聞が、仮設住宅の60代男性の死亡を伝える短い記事にその見出しを取ったのは、同年4月のこと。以後、同様の事例報告が各地で相次いだ。 伊佐が診療を担当していたのは、同区の西神第1と第7仮設住宅で1500戸を超えるプレハブが並んでいた。診療所開設から1カ月ほどたった同9月、50代と60代の男性の孤独死が確認された。死後相当な日数が経過していた。 いずれも伊佐の診療所から数十メートルの部屋に住み、それでいて診察には来たことがなかった。まだ体の自由がきく年齢で、命の危険があるのに医者にかからない。そこにどんな理由があったのか。伊佐はその後も各地で打ち続いた孤独死の背景事情を探った。 死者には共通点があった。持病があること、経済的困窮、アルコール依存。仮設では支援物資の酒が容易に手に入った。その果てに、病死や食物・吐物の誤嚥(ごえん)、入浴中の発作、転倒、あるいは自殺があった。 ■持たざる者たち 死因はさまざまだが、孤独死の前には必ず「孤独な生」があると言われる。震災で家や家族、職を失った人たちがいた。それ以前から持たざる者は、被災によりさらに持たざる状況に追い詰められた。 伊佐はそれから、住民らと孤独死をテーマにした講習会を開き、情報を共有。条件に当てはまる被災者を注意深く観察して声をかけ、必要であれば入院につなげることが診療所の主な仕事の一つになった。 「以前から社会で起きていた問題が、阪神大震災の仮設であぶり出された。その後の復興住宅でも同じことが起きると思った」