「F-35迷子事件」は序の口!? 飛行機“暴走”の事件簿 人はどこまで「やらかしちゃった」のか
空でも暴走事故は起きている
自動車の暴走事故のニュースをよく耳にします。ほとんどの原因がアクセルとブレーキの踏み間違いとされます。自動車の自動運転技術が実用化寸前まで進歩してきているのに、一方でこのような事故が無くならないのは皮肉でもあります。 【写真】暴走し墜落した飛行機の姿 トランスミッションがマニュアルだった時代、自動車の運転は今ほど簡単ではありませんでした。足元にはアクセル、ブレーキ、クラッチの3つのペダルが並び、レバーを手で動かしてギヤチェンジしなければなりません。これらの操作を間違えればエンストして止まってしまいます。これはこれで危ないのですが、暴走するよりはマシです。 乗りものが発達して誰でも使いやすくなることは良いことですが、その副作用も起きてしまいます。そして、実は同じようなことが飛行機でも起きています。パイロットの乗っていない無人の飛行機が空を暴走(暴飛行か)するなど恐怖でしかありませんが、航空史上では何例も見ることができます。 1956(昭和31)年8月16日、アメリカ海軍が地対空ミサイル実射試験のため、カリフォルニア州のポイント・マグー海軍航空基地から無人標的機グラマンF6F-5Kを発進させました。地上からのラジコン操縦で、太平洋上の試験場まで飛行させるはずでしたが制御不能に陥ります。そのまま墜落してくれればよかったのですが、なぜか安定飛行して上昇を続け、ロサンゼルス市街地の方向に進路を取り始めます。
「戦い」と揶揄された墜落被害
慌てた海軍は空軍に迎撃を依頼し、2機のF-89Dスコーピオン戦闘機がスクランブルします。アフターバーナー全開で何とか無人のF6Fに追いつき、随伴飛行を続けてロサンゼルスを通過して無人地帯に入ったところで撃墜することにしました。 F-89Dには、当時最新の射撃管制システムで照準し自動発射できる、無誘導の対空ロケット弾104発が搭載されていました。無人機は第2次大戦中に活躍した戦闘機F6Fヘルキャットを改造した旧式のレシプロ機であり、撃墜するのは簡単そうでした。ところがそうはいきません。 まず射撃管制システムがうまく働かず、ロケット弾の自動発射制御ができなくなりました。そうこうするうちにも無人機は不意な旋回を繰り返し、またロサンゼルス方向に向いてしまいます。対空ロケット弾は手動発射も可能でしたが、F-89Dには目視の照準器がありません。2機のパイロットが目測で3回にわたって全弾208発のロケット弾を斉射しましたが、1発も有効弾がなく撃墜に失敗します。 結局F6Fは燃料切れまで飛行し、パームデール地域空港から東に13kmの砂漠に墜落しました。 一方、外れた208発の対空ロケット弾は地上に落下し、あちこちで火災を起こし建物にも被害を出しました。幸い死者は出ませんでしたが約400ヘクタールの山林が焼失し、火災を鎮圧するのに500人の消防士が2日間出動。後に「パームデールの戦い」と揶揄されるようになった事故は、第2次大戦の傑作機だったF6Fがパイロット無しでジェット戦闘機を翻弄した「戦い」でした。