楳図かずおさん追悼インタビュー 異色の巨匠、描き続けた多彩な世界
荒廃した未来描いた「漂流教室」
――1972年、本格SF作品『漂流教室』が始まります。800人の児童ごと、小学校がタイムスリップ。誰も想像できなかった荒れ果てた未来世界で、子どもたちのサバイバルが描かれます。楳図先生の代表作のひとつであり、小学館漫画賞も受賞しました。 もともと子どもを描くのが好きなので、子どもばかりの話を描いてみたかった。「子どもだけの社会」を描いてみたかったんです。それで始めたのが『漂流教室』。アイデアの核はジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』ですね。 子どもはある出来事に対して、本気で疑問を持ったり体当たりしたりできるでしょう。大人だと簡単に処理できてしまう。子どもは「できないんだけど、がんばる」のが魅力なんですよ。 『漂流教室』の場合、「ひどい環境の中でがんばる」話を描きたかったから、砂漠という状況になっているんです。「荒廃した未来」という状況に、いきなり放り込まれる。最初から、そういう始まり方にしたいと思っていました。 「それまでのSFにないこと」は意識しましたね。ひとつは、時間を隔てて母と子がやり取りできること。時間にかかわるSFは『雪の花』や『ガモラ』など、貸本時代に結構描いてはいるんですよ。 それから、「未来が明るくない」という発想は当時(ほかに)なかったはずなんです。 ――確かにそうですね。映画「ブレードランナー」なども80年代に入ってからでした。 それまでのSFで、いつも「未来が明るい」のが疑問だったんですね。冷静に考えると、「未来が明るい」というのと「未来は破滅」というのは並行してるんですよね。「未来が明るい」のは文明が発達するからだと思うんですけど、文明というのは自然に逆らうものですから、文明が発達すれば破滅する確率も大きくなる。だから「未来が明るい」というのは一面的な考え方で、裏の部分を見ていないと思ったんです。
まことちゃんには眉がない
――続いて、1976年から『まことちゃん』が始まります。今までにない異色のギャグマンガとして一世を風靡。「グワシ」という手の形もはやりました。 『アゲイン』に出てきた「まことちゃん」にとても人気があったので、『アゲイン』が終わってから「まこと」を主人公にした読み切りを描くようになったんです。『漂流教室』の連載中も、ときどき発表してましたよ。それが好評だったので、『漂流教室』が終わってから連載になったんです。 ――『漂流教室』のテーマは「僕たちは未来にまかれた種だ」ということでしたが、『まことちゃん』のテーマは何でしょうか? テーマ性はないんです。「子どもってどんなの?」ということかな。子どもをいろんな角度から描く。それがテーマといえばテーマですね。 髪型は当時の礼宮(あやのみや)をモデルにしました。今でも秋篠宮を見ると、「まことちゃんが実在したら、もうこれくらいの年齢なんだなぁ」と思いますよ。当時の礼宮は目の上で髪が切りそろえられていた。眉が隠れている。そこがとても気に入って。後から考えると、マンガの絵で「眉が隠れている」ことには、すごく大きな意味がある。つまり、人格が形成しきれていないんです。 眉を入れた顔を描くと、性格や人格が表れてきちゃう。八の字眉にすると、とぼけた感じとか。まことちゃんは、まだ人格がないから眉がない。隠れてるんじゃなくて、彼の場合は髪を上げても「眉がない」んです。人格がないから、何をしでかすかわからない。 ――黒目がちの、まん丸い目も印象的でした。 うん、顔はいつもビックリ顔。驚いてるように、目を大きく見開いている。子どもだから何を見ても驚く、というイメージですね。そういう顔に決めちゃうと、逆に状況もそうせざるをえない。「まことちゃんがビックリすることって何だろう」と考えるわけです。 『まことちゃん』の反響は大きかったですね。残念だったのは、映画にはなったけど、アニメにならなかったこと。当時、「サンデー」編集部が「キャラクターの権利がよそに行っちゃう」とか言って、テレビ化しないほうがいいと言われたんですね。今からでも、アニメにしてくれないかな(笑)。 大ヒットしたことで一番の変化は、僕自身がマスコミに出るようになったこと。人前で歌もうたうようになりましたから。メディアに出るようになったことで、芸能界の人たちなどと接して世界が広がったことは良かったですね。 ――今日はありがとうございました。最後に、楳図先生のトレードマークになっている「紅白のボーダーシャツ」についてもお聞きしておきたいんですが……。 このシャツですか。高校を卒業してマンガ家になったときから着ています。高校時代は学生服だし、洋服には無頓着でした。 ルーツは海賊なんです。小学生のとき読んでたマンガによく海賊が出てきたんですけど、僕はその海賊が好きだったんですね。海賊はみんな、シマシマのシャツ着てるんですよ。それに痩せてるから、横縞は少しでも太って見えていいかなと。「赤と白」はくっきりしていて一番目立つでしょ? 今は40~50着くらい持っています。あまり売ってないから貴重なんですよ。 マンガ家になって50年以上経つけど、体形はちっとも変わりません。167センチ48キロのまま。ベルトを買うと、余計に穴を開けないといけません。徹夜しない、タバコ吸わない、車に酔うからよく歩く、毎日カンツォーネを歌う……。結果的に、体にいい生活をしていたのかもしれませんね。 (2009年4月13日、「まことちゃんハウス」にて取材) <楳図かずお(うめず・かずお)さんプロフィール> 1936年、和歌山県生まれ。本名・楳図一雄。55年、トモブック社から『森の兄妹』『別世界』でデビュー。63年、上京。65年、「週刊少女フレンド」に『ねこ目の少女』を発表し、ホラーマンガの第一人者となる。同年から「週刊少年マガジン」で『半魚人』を連載し、少年誌に進出。70年代には『漂流教室』や『まことちゃん』で「週刊少年サンデー」の看板作家に。80年代から青年誌に移り、「ビッグコミックスピリッツ」で『わたしは真悟』や『14歳』を連載した。75年、『漂流教室』ほかで小学館漫画賞。『わたしは真悟』で2018年に仏アングレーム国際漫画フェスティバル遺産賞、20年に伊ミケルッツォ賞最優秀クラシック作品賞。19年、文化庁長官表彰。23年、手塚治虫文化賞特別賞。2024年10月に死去。 (聞き手・伊藤和弘)
朝日新聞社(好書好日)