楳図かずおさん追悼インタビュー 異色の巨匠、描き続けた多彩な世界
印象に残っている編集者は白井勝也さん
――その「少年サンデー」で、特に印象に残っている担当編集者はいますか? 「サンデー」で最初に声をかけてくれたのは田中一喜さんですけど、担当についたのは後に専務になった白井勝也さんでした(2009年に副社長)。初代担当ですね。『おろち』から『アゲイン』、『漂流教室』まで、ずっと担当してもらいましたよ。 白井さんは……“活発な方”、ということですよね。白井さんの話というのは、ちょっと言いにくいところもあるんですけど、編集者として優秀な方だったのは間違いありません。どんな所にも顔を出しますし、昼も夜も働いてる。メチャクチャ仕事熱心で。 僕が肝臓を壊してからは、原稿を取りに来たとき、しじみ汁をよく作ってくれました。そういうところはすごいマメでね。取材旅行というのはないんですけど、気分を変えるために伊豆や箱根のホテルを取ってもらって執筆したこともあります。後から白井さんもやって来ました。それから、(『美味しんぼ』などのマンガ原作者の)雁屋哲さんがデビューする前、僕は関係ないんですけど、打合せについていったこともありました。 絵を描いてる人を上手に盛り上げる才能のある方ですよね。でも、それがちょっと脇にずれると危ない所もあって……いや、やっぱり言わないほうがいいでしょう(笑)。 ――1970年、『アゲイン』の連載が始まります。『おろち』の主人公は少女でしたが、『アゲイン』はおじいさん。それが不思議な薬を飲んで若返るというコメディーでした。シリアスで重い『おろち』とは、まったく肌合いが変わりましたね。 以前、「なかよし」に『ロマンスの薬あげます!』とか『女の子あつまれ!』というギャグマンガを描いたことがあるんですよ。ギャグというか、ラブコメかな。だから『アゲイン』は、出しぬけは出しぬけなんだけど、僕としてはそれなりに自信があったんです。 当時、「ギャグのサンデー」なのに「ギャグがなくなってしまった」と編集部があわてていると聞いたんですよ。それで白井さんに「僕がギャグを描きます」って。白井さんが編集会議で話すと「楳図さんは恐怖のほうがいいんじゃないか」と言われたそうなんですけど、「いや、大丈夫。自信ありますから」と押し切って。確かに本格的なギャグマンガは初めてだったけど、『ロマンスの薬あげます!』などの評判が良くて自信はあったから。 それまでの赤塚(不二夫)さんなどのギャグは1話完結型だったでしょ。そうではなくて、「続いていくギャグ」を描こうと。ストーリーマンガ形式でギャグマンガを描こうと思ったんです。理由は『おろち』のときと一緒で、誰もやってなかったので。 単に笑いを目指しただけじゃなくて、「老人問題」をテーマにしているんですよ。主人公の元太郎じいさんが若返ったとき、楽しければ楽しいほど、元に戻ったとき悲哀が出るだろうという計算なんです。だから若返ったときは思いっきり弾けて、笑いを多く、楽しく描いたんですね。 僕の全体の流れでいくと、最初は「本能の恐怖」、次が「人間心理の恐怖」と来て、そこから少しずつ「社会性」が入っていくんです。『アゲイン』から『漂流教室』にかけて、登場人物が多くなっていく。『へび女』を描いた頃、「社会性がない」と言われたことがあったんですけど、要は人数が多くなれば自然に社会性も出てくるわけで。 ――元太郎には「まこと」という孫がいますけど、これってもしかして……。 そう、後の「まことちゃん」です。つまり、『アゲイン』は元太郎じいさんが主人公、『まことちゃん』は孫の「まこと」が主人公というだけで、同じ世界なんです。 昔から幼稚園児を出したいと思っていて。幼稚園児そのものが好きなんじゃなくて、「幼稚園児が出てくる話」が好きなんです。大人から見れば当り前のことに、「なんで?」とこだわるでしょ。理解力が足りないから、つまらないことでも疑問に思って食い下がってくる。「なんで?」と言われることで、当り前の出来事でも面白く見えてくることがあって。