スカイライン、GT-R、シルビアが泣いている…トヨタの最大のライバルだった「走りの日産」が道を間違えた瞬間
■流れが変わった90年代 走りにこだわることは、クルマ好き頼みの戦略ではと思うかもしれない。しかし、それは正しくもあり、間違ってもいる。 世の中では、クルマ好きではなく必要に迫られて運転する人の方が多い。ただ、運転する楽しさは、運転のしやすさにもつながるものでもあるため、結果として、良いクルマと評価されるわけだ。もちろん、「このクルマに乗ってみたい」という素直な思いも、クルマ好きを育てるきっかけになる。 クルマ好きの目線で見ると、80年代から90年代のトヨタ車は、「カローラレビン」、「スプリンタートレノ」、「セリカ」などのスポーツカーもFF車に切り替えていた。そのため、日産が古典的なFRにこだわったことは、結果として「スポーツカーはFRが良い」という固定概念が強かった当時のファンの心を捉えることにもなっただろう。 もちろん、トレンドを作り出すことにも成功しており、マーチをベースとしたレトロデザインカーである「Be-1」、「PAO」、「フィガロ」のパイクカーシリーズは、後の軽自動車を中心に盛り上がるレトロモダンなクルマたちのブームにも繋がっている。 ■迷走の中でも光った技術屋の矜持 大きく流れが変わったのは、90年代以降だろう。法規改正でボディサイズと自動車税の相関性がなくなったこともあり、バブル期に開発された日産のクルマは、大型化かつ高級化にシフト。さらにデザイン面でも、アメリカ市場を意識したものが増えた。 しかしそれらの車はバブル崩壊後の日本人の顧客のニーズに合わないものだった。 特に大きな失敗だったのが、尻下がりのデザインの採用だ。その代表例が第9世代の「U13型ブルーバード」と「レパードJ.フェリー」であり、いずれも北米拠点のデザイン部の作品であった。 その反動からか、90年後半から00年代に投入された日産車は、直線的なデザインが多かったが、こちらも野暮ったいものが多く、迷走を感じさせるものであった。 ただ厳しい状況下に置かれた中でも、ヒット作もあった。1996年には、上級ステーションワゴン「ステージア」を投入。ゆとりのある大型ワゴンという売り出しは大いに人気を博した。 1997年の初代「エルグランド」は高級ミニバンの元祖であり、トヨタ・アルファードよりも5年も早いデビューであった。ユーテリティコンパクトカー「キューブ」も、1998年に登場し、大成功。2000年デビューの「エクストレイル」は手頃なSUVとして若者の取り込みにも成功している。 時代に埋もれた“迷作”の多い時期でもあるが、それらの車から、新たな価値の創造に挑む日産の新車開発チームたちの奮闘が感じられたのは間違いない。