世界最強アームレスラー・ 竹中絢音の強さのルーツとは?「休み時間にはいつも腕相撲」「部活の時間はずっと鉄棒で懸垂」
アームレスリング界の“最強女王”である竹中絢音は、競技を始めた10歳の時に世界を目指し、15歳で国内王者に輝いた。その後、世界ジュニアでも2連覇を達成するなど、早熟の大器は成長のスピードを緩めることなく、2022年には全日本選手権大会の男子の部で優勝。女子選手が男子カテゴリーで優勝するという史上初の快挙を成し遂げた。そして昨年、世界アームレスリング選手権大会の左右優勝を達成し、目標としていた世界王者に輝いた。圧倒的な才能に恵まれていたように見えるそのキャリアをひも解いていくと、興味深いエピソードが散らばっていた。「誰よりも負けず嫌い」だった少女は、世界への階段をどのように上ってきたのか? そのルーツに迫った。 (インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真提供=竹中絢音)
20kgのダンベルを上げていた小学生時代
――アームレスリングの選手だったお父さんの下で、10歳の頃にアームレスリングを始めたそうですが、幼少期はどんな子どもだったんですか? 竹中:もともとすごく負けず嫌いで、相手が大きいとか小さいとか、性別も関係なく、腕相撲やアームレスリングでは誰にも負けたくないと思っていました。自分で決めたことは絶対にやり切らなければ嫌だったので、たとえば学校で「漢字ドリルや計算ドリルを2周やらなければいけない」という宿題が出た時に、一人だけ5周目までやったりしていました。その範囲からテストに出てくるのはわかっていて、絶対に100点をとりたかったんです。特別活発というわけではなく、割と地味な子どもだったと思いますが、ずーっと同じことをやり続けられるタイプでしたね。 ――小さい頃は空手もやっていたそうですが、いろいろやった上でアームレスリングを選んだ感じですか? 竹中:いえ、空手はちょっとだけやって、すぐにやめてしまいました。お父さんがアームレスリングの選手だったので、子どもの頃から試合を見たり、練習している姿を見ていたのは大きかったです。練習部屋の隅で、お父さんが片手で持ち上げていた20kgのダンベルを、椅子に手をつけながら両手で持ちあげたり、父の友達と練習したりしていました。それからはアームレスリング一筋で、他のスポーツはほとんどやってないんですよ。 ――お父さんはその頃から、熱心に練習を教えてくれたんですか? 竹中:父から「アームレスリングをやってほしい」と言われたことは一度もないんです。でも、「やるって決めたならやれよ」っていう感じだったので、定期的に「もう(アームレスリングを)やめろよ」って言われて、その度に「やる!」って言い返していて。結局「じゃあやれよ」って、父のほうが折れていました(笑)。 ――試されている感じですよね(笑)。お父さんは何歳ぐらいの時に、認めてくれたんですか? 竹中:定期的な「もうやめろ」は、高校生くらいまで言われていましたね(笑)。ただ、今はいつも応援してくれていて、年に2、3回、実家の岐阜に帰省した時には、私の試合を見て、「あれはこうだった」って感想をくれたり、手を握って、教えてもらったりしています。