工藤公康がダルビッシュ発言で気づいた“子育ての後悔”「長男が俳優に…妻は反対していた」長女はゴルファー…変えた二男三女への“話し方”
プロ野球で投手として通算224勝、監督としてもソフトバンクを3度のリーグ優勝と5度の⽇本⼀に導いた工藤公康(61歳)。二男三女の父であるが、「父親として褒められたものではなかった」と語る。その理由とは。NumberWebインタビューで明かした「結婚と子育て論」。【全2回の2回目】 【超レア写真】工藤公康の美しき夫人が長男を連れて…「若い頃にそっくり?」現在イケメン俳優の長男、活躍するプロゴルファーの長女。貴重な家族写真から清原和博にビールかけられる名シーンまで…一気に見る ◆◆◆ 仕事か、家庭か――。考え方は人それぞれだが、時代の流れとともに後者へその比重が移り変わっているのは確かだ。しかし、二男三女の父である工藤公康氏が現役だった頃には「イクメン」などという言葉がまだ世の中に存在しなかった。 「それでも私が“彼”のような言葉を自然に発せられる人間だったならば、もっと変わっていただろうなと思います」
ダルビッシュの発言に衝撃
昨年、日本中が熱狂したワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に出場したダルビッシュ有の発言を耳にした工藤は、かつての我が身を思って後悔と反省の念が波のように押し寄せてきたのだという。 ダルビッシュはオフ期間を一緒に過ごす「家族のことが頭にあった」という理由からWBCへの出場を悩んでいたと大会前の合宿中の会見で告白した。加えて「独身の頃は野球選手であることを一番に考えていたが、結婚して、一番の役割は夫であること。二番目に父親であることがきて、そのあとが野球選手です」とも話していた。 「私がプロに入った頃は、野球選手になったら『親の死に目には会えないと思え』と言われていました。今はそんな時代じゃない。昔のそのような考えは間違っていたと思います。良い変化をしたというのではなく、今が普通になったんです。しかし、当時はそれが当たり前だと考えていました」
「負けた試合日」の家族風景
日常生活も然りだった。遠征やキャンプなどで家を不在にすることが多かったうえに、たまに家にいても子どもたちとはすれ違う生活。ナイターが終わって帰宅するのはもちろん深夜になった。 「私の場合はそれだけでなく、筑波大学の先生のもとでトレーニングをしていたので(西武本拠地の)所沢で試合が終わった後に車で茨城まで行って、朝帰ってきて昼間に寝て球場に行くみたいな生活をするときもありましたから」 当時、工藤家の子どもたちの中には、とある“掟”があったという。 工藤が打たれて負けた試合。そんな日の方が工藤家の雰囲気は明るかった。夜遅い帰宅でも起きていて、玄関が開くと「パパ、おかえり」と元気に出迎えた。兄妹それぞれで、工藤と一緒にテレビを見たり、風呂に入ったりと子どもたちで役割分担をして、嫌な気持ちを次の試合に持っていかないように、 “一緒に戦っていた”のだ。 「あぁ、慰めてくれてるんだ」 工藤も子どもたちの気持ちを汲み取ってはいた。それでもやはり、現役当時は野球優先の考えがどうしても頭から離れなかった。 「子どもたちを可愛いと思うのは当然だし、気遣ってくれていることも心のどこかでは分かっていました。でも、不思議なもので野球のことで頭がいっぱいになると、人間って他のことは考えられなくなる。結果的に家族のことに気持ちが向かないから『あぁ起きてたのか』くらいの反応になってしまう。父親として褒められたものではなかった。ダルビッシュ投手のように、私は言えなかった。妻に申し訳なく思います」
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